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嫌いじゃなかった 別に。 普段の生活に文句がある訳でも無かった。何も求めるものは無かった。 俺は普通に産まれ、普通に育ち、両親に愛情を注いで貰い、 普通に進学し、夢を持った。 歌い手になりたいという夢を持った。 別に飛びぬけて歌が巧い訳でも無いし、認められてる訳でも無い。 誰かに押されてる訳でも無いし、 そう、自分でなりたいと思っただけなんだ。 普通に生活してきた事に関して何ら不満は無かった。 あの日からを除いては・・・。 「おはよう、直樹。」 そんな何時もの聞きなれた声で目を覚ました。 直樹、そう呼ばれた男は誰かの部屋のベッドの上で寝ていたらしい。 布団の温かさを名残惜しそうにしながら、 まだ言う事の利かない体を半身だけ起こし、辺りを見回す事にする。 ベッドから直ぐ目に入ったのはお早うと声をかけた女の人だ。 半身だけ体を起こした状態では明らかにこの女性の方が高く見える。 私が女の人の顔を見ようとすれば、この状態から更に首を上へと上げなければならなかった。 毎日飽きる程聞かされたこの声の主は分かっているので、 態々そんな確認を取らなくてもいいのだけど、何時もの事なので顔を見るとする。 朝の日差しが女の人を照らし、余り良くは見えないのだが、 髪はストレートで肩くらいまで伸びている。色は茶色がかっていたが目立つ程でも無かった。 日の光に当たってようやく茶色だと認識出来る程度。 割りとスラっとした体型で、モデルさん、とまでは行かないが其れに近いスタイルをしている。 其れを包み込むかのようにして着られている水色の丸い模様が入った、、此れは寝巻きだろうか…。 生地は白、其処に転々と模様が有る程度の軽い服装をしていた。 「おはよう、母さん。」 そう、ベッドの横に立っていた女の人は私の母親である。 御飯を作っていたのか、手には菜箸を持っていた。 何も人を起こしに来るのに菜箸なんて置いてくればいいのに…。 と主婦ではない私が疑問に思っても分からないままだろう。 かといって「置いてこい」などと朝から言うのも面倒でどうでもいい話だ。 まだ眠たげな瞼をこじ開けて、挨拶を返す。 挨拶を済ませてから母は忙しいのか足早に部屋を出ていった。 一人になった自分の部屋の中で聞こえて来るのは、 外から漏れる鳥の声や、車が通って行く騒音等だ。 ぼんやりする思考回路を戻す為によいしょと体を起こし、部屋を見回してみる。 部屋の大きさは極々普通、と言えるのだろう。 一般的な安いアパートの一室より少し大きめくらい。 必要最低限の家具を置いても其れでも人何人かは座れるスペースがある。 とはいってもこの部屋には洋服ダンスが無い。 というもの自分自身着用する服が少ないからなのだ。 タンスを置くまでも無いくらいに衣服が少ないというのもどうなのだろうか。 部屋の構造はいたってシンプルで、ベッド、テレビ、学習机、本棚とパソコンが有るくらい。 ベッドは部屋の端から端まで、割りとスペースを取ってしまう。 テレビは小型の14インチ、学習机は小学生の頃に買ってもらった大きな机。 本棚がベッドの隣にあり、寝る前に少しだけ本棚から本を取り出して読みいってしまう事もある。 学習机の上には大きなデスクトップパソコンが置かれてあり、家族の中で扱えるのは一応私だけである。 直樹と呼ばれた私の名前は 弓塚 直樹(ゆみづか なおき)と言う。 家族構成は母の幸子(さちこ)と父の智樹(ともき)、其れと妹の秋葉(あきは)が居る4人である。 家族柄では長男、秋葉の兄という事になる。 今年で12歳となる私は、今日から新しい生活、中学生となって日常を歩む事になる。 今一中学生、という実感は無いのだが、次に目を移すモノを見て其の気持ちは一転する。 今日から服装が学校指定のモノとなって其れを着て行く事になる。 一般的に言われる「制服」という類だ。母親は「ブレザーが良かった」と自分が着る訳でも無いのに、 悔しそうにしていたのは記憶に新しい。 制服を着こなして初めて自分は中学生である、という認識を植えつけることが出来た。 時刻は7時になろうとしていた。何時もは6時半に目覚ましをセットし、 目覚ましが鳴ると同時に目を覚ましてたのだが、今日に限って目覚ましが鳴らなかったので、 母親が起こしに来た、という訳だ。 洗面所へ行き、顔を洗い、朝の支度を済ませて私は母の待つ食卓へと向かう事にする。 食卓では新聞を広げながら何やら難しい顔をした父と、 今日から新学期、という事で目を輝かせてウキウキしている妹の秋葉が座っていた。 母はコンロの前で朝御飯を作っていた。 妹の秋葉は今年から小学6年生になったばかりである。 私とは1歳違いのいわゆる年子という部類に当たる。 冬休みが終わり、長期間の休みを名残惜しそうにしながら新学期を迎えるというのに、 妹の秋葉はそれ程までに学校が好きなのか、朝からとてもテンションが高いように見えた。 「お兄ちゃん! おはよう! 早く御飯食べないと遅刻しちゃうよ!」 そういわれてふと時計に目をやったのだが、まだ7時を過ぎたばかりだった。 そんなに慌てなくても遅刻はしない、というのも家から中学校までは、 徒歩でほんの10分程度で着く距離にあったからだ。 妹の秋葉が通う小学校は徒歩で20分もかかってしまう。 ならもう1時間くらいは寝れる、と思うのは確かなのだが、 父が会社に行く時間に合わせて皆で食事をする事になっているので、 この時間に起きて来ないと当然私は朝御飯が食べられない事になってしまうのだ。 「ああ、おはよう秋葉。秋葉はそんなに学校が好きなのかい? 何だか楽しそうだけど?」 部屋に入って一番の疑問である妹の行動について問うてみた。 別に嫌いな訳でもないけど、学校なんてのは別段好きになれる場所でも無い、 と、私は常に思ってきたからだ。 秋葉は困ったように眉を顰めて私に言い返す。 「んー? お兄ちゃんは楽しくないの?」 其の問いに私はああ、と軽く返事を返して席に着き、母の作る朝御飯の到着を待っていた。 母は毎日3食、料理を作るためかとても手付きは慣れている。 卵を一つ割ってフライパンに入れようものならたちまち綺麗な、 玉子焼きという一つのオカズに変身させてしまう。 秋葉はまだ小学生なので学校食が在る為、御弁当は無いのだが、 父は何時も通り、私は今日から中学生なので御弁当が必要になってくる。 母は朝早くに起きてまず父の御弁当を作る事から始めているのだ。 母の作る御弁当はとても色鮮やかで綺麗だ。 味も申し分無い、と父は何時も嬉しそうに御弁当を受け取っていた。 今日から私も中学生という事で御昼御飯は母が作る御弁当を食べる事になる。 小学生の頃に遠足の時や何かしら特別な時は母の御弁当を食べるのだが、 御弁当の蓋を開けると其処には別世界のような雰囲気がある。 普段見慣れないせいか、蓋を開けてから此れが本当に食べ物なのかどうか 少し不思議に思ってしまうくらいだ。 今日からは其れが毎日、学校の無い日を除いてだが、食べられると思うと 少し中学生になった事を嬉しく思うべきだろう。 私の朝御飯は早くて食べやすい食パンに、目玉焼きを乗せて食べるという 至ってシンプルな物だ。父は会社へ行くので朝から体力を付けるために、 御飯に味噌汁、「日本人なら朝は納豆だ!」と豪語する為、 其の一つのセットに納豆が加えられる。秋葉も私と同様食パンに目玉焼きである。 正直私は納豆が好きではないので最初のうちは匂いに圧倒され、 父がおいしそうに食べる姿を不思議そうに眺めていた事がある。 だが今では日常生活において当たり前になってきているので、当然其れには慣れてしまう。 母も言わずとも納豆を毎朝父のテーブルへ持って行くくらいだ。 時刻は7時半を指す。父は時計を見て今までの家庭での態度とは違い、 思考回路を仕事用に切り替えて、とても凛々しくなる。 「其れじゃ、行ってくる。」 そういって母に上着を着せてもらい、鞄を手渡され、 「行ってらっしゃい。」 と母は一言だけ父に笑顔を与える。 軽く頷いた父は颯爽と玄関の扉を開けて会社へと出勤していった。 父が居なくなると何ともポッカリ穴が開いたような空間になる。 其れというのも、家族は4人、テーブルを囲むのに丁度良い人数になる為、 父が抜けるとテーブルの一つの席が空いてしまうからだろう。 其れも今では慣れたもので、当たり前のように気にならず、 目の前に並べられた母の作った朝御飯を食べているのである。 朝御飯を食べ終え、母に御馳走様とだけ告げ私は部屋へ戻る。 新学期、というのもあり、今日は午前中までなのは承知なのだが、 其れでも持って行くモノは沢山あるのだ。 筆記用具は勿論の事、新学期になる前に買った教科書。 新学期、授業は無いのだから教科書なんて要らないだろうと思っていたのだが、 何かと必要になるらしいので仕方なく持って行く事になる。 教科書、といっても小学校に比べ教科書の厚みも重さも段違いである。 教科書一つで大体小説1冊分くらいにはなるのだろうか。 其れくらい厚みがあった。新たに英語の教科も加わる為、荷物が増えてしまう。 社会に関しては上下の2冊があったり、考えるだけでややこしいと思ってしまう。 何て事も言ってられないので取り敢えず積めるだけ教科書を鞄に押しこんで、 最終チェックを行うことにする。この間に秋葉は学校へと登校していた。 チェックを終え、漏れがないのを確認すると私は新しい黒い制服の上着を着込み、 先ほど朝御飯を食べていた部屋へと戻る事にした。 「それじゃ母さん、私も学校行ってくる。」 母にそう伝えると、母はにっこり微笑んでいってらっしゃいと返してくれるのだった。 4月、辺りが桜で入り乱れてピンク色に街中が染まる。 こんな風景を見れば誰でも「春」だと認識させられてしまうだろう。 春と言えば、まず初めに桜が思い浮かぶ人がほとんどではないだろうか。 学校へ行く途中、ピカピカの赤や黒のランドセルが目立っていた。 私の家から中学校まで然程距離はないのだが、 其れでも学校へ行こうとしている小学生や中学生の人々と出くわす事はある。 集団で登校している黄色い帽子の子供達や、 黒い制服を身にまとい少し大きく感じる中学生。 私も今日から中学生。小学校とは違い登校する道も変わり、 何処か不思議な気持ちがあった。 きっとこんな気持ちも最初だけなのだろう、と然程気にも止めず、 徒歩で数分の距離にある中学校へと足を進めていく。 暫く歩いていると大きな門が見えてきた。 後に知るのだがここは正門で皆が登下校する際に良く利用される門のようだ。 特別新しい訳でもなくところどころ塗装が剥げている。 ピンクのようででもそうでもないような、何とも言い表しにくい色をしていた。 周りには同じ制服を着た学生が沢山登校してきていた。 仲間とワイワイ話しながら登校するモノや、 参考書を広げ、朝から難しい顔をしている学生も居れば、 頭を金色に染めていかにも不良という言葉がピッタリの学生もいた。 門を潜ると右手に大きなグラウンドが見える。 とはいっても小学生の頃とは殆ど変わらない。 左手には私が此れから入ることになる校舎があった。 校舎は白色で、何かの神殿のような雰囲気を出していた。 門があれだけ塗装が剥げていたというのに比べて校舎の方はとても綺麗だった。 校舎側に何やら黒い点々のついた大きな白い紙が張られていた。 遠くからでは其の黒い点々が何なのかは正直判断出来ず、近くへ行く事にする。 其処には沢山の人の名前がかかれてあり、 同時にクラス分けされていた。 クラスは全部で3クラス。中学では少ない方だろうか? 小学生の頃も3クラスだったので、特別違和感は感じなかったのだが、 知人の話しによれば3クラスは割りと少ない方だとか。 私のクラスは何処だろう、と自分の名前を探し始める。 すると2クラス目にさしかかった辺りで「弓塚 直樹」の文字を見つけることとなる。 2クラス目、という事は私は1組から3組まである中の2組、という事になる。 近くに眼鏡をかけ、いかにもキツそうな顔立ちをしたジャージを着た男性が居た。 其の男性はどうみても生徒と呼ぶには程遠く、恐らく誰からの目にも、 「先生」という単語を連想させるのだった。 其の先生だと連想させる男性に私は自分のクラスの教室は何処なのかを尋ねることにした。 「すいません。1年2組の教室は何処でしょうか?」 するとさっきまでの険悪な表情は一遍し、とても笑顔で答えてくれる。 「新しい生徒さんだね? 1年2組はこの先の階段を二つ上がったところの真ん中だよ。 表札が出て有るから其れを確認するといい。」 そういって先生らしき人物は左手で奥の階段を指さしてそういった。 私は有難う御座いますと軽く御辞儀をして自分のクラスへと急いで行った。 時刻は8時半になろうとしていた。 言われた通りの道を進んで行くと「1年2組」の看板が見えてきた。 階段はとても広く、一人で上るととても寂しい感じがしなくもないだろう。 仮にも大勢が火事や何かで逃げる時、此れなら皆一斉に逃げられるだろうな、 なんてくだらない事を考えながら私は2組の教室を見つけることになる。 階段を上ってから右手に見える教室が1組、そして其の奥が2組、3組という順番で並んでいる。 私は2組なので真ん中の教室へと入ることになる。 入り口は2組の手前に一つ、奥に二つの計2箇所。 私は一番近い手前の入り口から入ることにした。 教室では既に多くの知らない生徒が集まっていた。 会話等は殆ど無く、皆そわそわしていた。 まぁ無理もないだろう。突然クラス変えしたようなものだし。 其れにあちらこちらから生徒が集まってくるので皆知らなくても当然なのだろう。 特別席も決まってないようだったので、適当に空いてる一番後ろの窓際へ座る事にする。 来るのに手間取った為か、ふう、と一息つくとチャイムが鳴り響き、先生らしき人物が教室へと 入ってきて、教卓と呼ばれる先生専用の大きな机の前まで足を進めるのだった。 教卓へと辿り着いた先生らしき人物は眼鏡をかけていた。 先生と言うのは何故だか眼鏡を着用している事が多い。 眼鏡イコール真面目君、等と小学校の頃良く知人と話していたりはしていたのだが、 恐らく先生で眼鏡をかけている人が多い事からそういう風に定着したのではないだろうか。 眼鏡をかけている事でとても顔立ちが変わり、いかにも勉強が出来そうな感じにも見えるのだ。 性別は男性のようだ。サッパリと切り落とされた前髪のおかげで顔立ちがしっかりと見えてしまう。 年は見た感じまだ23,4歳くらいにしか見えないのだが、好青年を思わせる髪形のせいだろうか、 実年齢より若々しく見せているようにも見えてしまうのだが、実際23,4歳の可能性がない訳でもない。 買ったばかりのようなピシッと整えられたスーツが、其れに似合っている。 黒い新品のようなスーツから覗かせている白い襟がより人物を引き立てている。 人間、服装や髪形を変えただけでがらりとイメージが変わってしまうのだ。 其の人物は教卓へつき、教室を隅から隅まで見渡すように眺めた。 どんな生徒が居るのかをまじまじと見ている様子にも取れたのだが、恐らく其れが正解だろう。 其の人物は、ぐるりと教室を見渡した後、誰に言う分けでもなく、うん、と相づちをうち、 自分の後ろに広々と広がる黒い板の方へと体を向けた。 黒板、と言えば其れは黒板だろう。 其の黒い板に何やら小さく白い円柱のようなモノを何処からか取り出して、 すらすらと手馴れた手付きで白い文字を描いて行く。 其処に書かれた4文字の綺麗な字を眺める事にする。 私は特別視力が悪い訳でもない、寧ろとても良い方だと思う。 小学生の頃から私は両目共に1.5という記録を更新していた。 何年経っても視力は上がる分けでもなく下がるわけでもなかったのだ。 教室の一番後ろの席からでも其れは何なく読み取れる事は出来た。 白く書かれた文字は「紅蓮 明人」と書かれていた。 文字を書き終えた人物はまたこちらへと体を向け、其の顔立ちを私達に見せると、 「私の名前は紅蓮 明人(こうれん あきと)と言います。皆さん此れから宜しく御願いしますね。」 そういってにっこりと微笑んだ人物はやはり先生だった。 微笑んだ先生の顔は見る者の心をやわらげてくれるような、そんな感じがした。 一点の曇りもないような其れは、他人を傷つける事を知らない無邪気な子供のようにも見えた。 先生は次に何やら黒い薄いノートのようなモノを取り出して知ってるはずもない生徒の名前を、 すらすらと一人ずつ言い当てて行くのだった。 そう、生徒簿という、クラス別で生徒の名前が出席番号順で書かれた物を見ながら、 出席の確認を取っているのだ。 名前を呼ばれた生徒は「はい!」と元気良く挨拶をするのが基本となっている。 この行為は毎日のように行われて、出席確認をしていく。 返事のない生徒は勿論欠席と扱われ、生徒簿の欠席の欄にチェックを入れられ、 後に成績表と呼ばれるモノへの評価・参考にされていく為、ただ名前を呼ぶモノではないという事だ。 先生が全ての生徒の名前を呼び終え、また誰に言うでもなく「うん」と相づちをうち、少し考え込むのだった。 「其れでは皆さん。今日が初めての中学校となりますが、私が担当させて頂くのは社会になります。 中学校では各教科ごとに先生が変わります。あ、そうそう、社会を担当させて頂くのと同時に貴方達生徒、 このクラスの先生という役目も承っておりますので、恐らくこの1年で一番顔を会わせるだろう先生です。」 承る。一体何時の時代の言葉を使っているのだろうか、と少し気にもなっていたのだが、 其れは誰も気にしてる素振りすら見せて居ないので私も余り考えない事にしていた。 「…くだらん。」 ふとそんな言葉が私の耳へ入ってきた気がした。声はとても小さく、僅かに聞き取れたくらいだった。 恐らく声の主は女性だと思う。透き通った其れは男性とはとてもじゃないが思えないからだ。 「え?」 私は何時の間にかそんな間の抜けた返事を誰に言うでもなくしていた。 其の声の主は更に続けた。 「学校という中で過ごす時間は無駄だ。人の将来等知る訳でもないのに一定の事しか教えない。 其れは義務付けられた事でしかないが、一生の間に学校で勉強したものの何%が実際に使えるのか、 そんなのは誰も知らないし、将来何に使うのかも分からないだろう? 朝から夕方まで、毎日此処へ来てする事も全てが全て自分の将来で役立つとは限らない。 なのにどうしてこいつ等は此処へ着て勉強なんぞするのだろうか。 学校を卒業した、ただ其の資格、肩書きが欲しい為にきているだけだろう。 だがまだ中学生、そんな事を考えてる奴が、とてもじゃないが居るとは思えないがな。 世間一般で言われる義務を遂行してるに過ぎないのだろう。」 声の主は延々と何やら難しいことを話し出す。自分も中学生だというのに 何とも現実的というか、大人びた事を話すのだった。 私は顔を隣の席へと移して見ると其処にはこちらを向いている女性の姿があった。 紫がかった綺麗な髪を靡かせ、見る者を其の髪だけで魅了、虜にしてしまうくらい、 綺麗に仕上げられた髪、そして其れに似合う顔立ち。 恐らくこの髪にはこの顔しか似合わないだろう、其れ位しっくり来るのだ。 一言で言えば中学生とは思えないくらいの美人なのだ。 其の姿は女性でもドキリとしてしまうと思う。 学校の制服を身に纏う其れも、顔立ちに合わせるかのように綺麗に着こなしている。 制服を着るだけでは誰も同じなのだが、何故だかそう思わせてしまう不思議なモノがあった。 見とれてしまい私はしばし沈黙してしまっていたのだが、少ししてから私は言い返す。 「だけどそういう君だって中学生で、此処へ着てるじゃないか。一体何の為にきてるんだ?」 私の問いに「ふむ」と顔を顰めながら私に一言だけ他にする事がないからと言い、顔をそらすのだった。 ◇ 私は何も知らない。知らないけれど、知っている。感じる。 でも其れは世の中に興味がない、って事だけ。 私は此処へ産みおとされて物心ついた頃には、 世の中というモノを酷く拒絶していた。 私には家族というモノが存在しない。気が付けば私は独りだった。 孤独。 感じる事はなかった。気が付けば独りだったから。 其れは孤独じゃない。元々が独りなのだから其れが普通なのだ。 一人でも、親しい人間がいたのなら、今の私は孤独を感じられたのだろう。 だが其れは私にとって余計な感情に過ぎない、必要のない感情。 要らないものが心に刻まれるのは非常に厄介で迷惑なモノだ。 自分の名前ですら私は分からない。 私は部屋に居た。何処だか知らない部屋に私は居た。 まだ意識が朦朧としてる中、特別する事もないので半身だけ起こし、 まだ眠たげな瞳をこじ開けて辺りを見回す事にする。 目の中に映し出されるのは何も無い真っ白な空間。 どういう理由で真っ白なのか どういう訳で私は此処に居るのか、 そんな疑問を吹き飛ばす出来事が起きる。 「カンナヅキさん、いらっしゃいますか?」 カンナヅキという人物の名前を呼びながら、ドアがノックされるのを耳にする。 どうやらノックは私の部屋の外から聞こえてきたようだ。 声は女性のモノ。甲高い声で寝起きの私にとっては不協和音のような感じ。 とても耳障りで腹の立つ声だった。 しかし、カンナヅキとは一体誰の事なのか? でもこの部屋をノックしてるようなので私はドアを開けてみる事にする。 ドアを無言で開けると、目の前には白い服を身に纏った見慣れない女性が立って居た。 その服装は特別なモノで、見れば誰しもが「看護婦」という単語が浮かぶだろう。 「あ、カンナヅキさん、起きてらしたんですね。そろそろ退院だそうなので連絡に上がりました。」 退院? カンナヅキさん? 一体私は誰で何をして此処へいたというのか。 目の前には看護婦、白い部屋、恐らく此処は病院と呼ばれるところなのだろう。 というより、そう思わざるをえない状況だった。 退院、看護婦、と来れば浮かぶのは病院以外ありえない。 ということは、私のこの部屋は病室なのだろう。其れも個室。 可笑しな事に私にはこの病室で目を覚ます前までの記憶が殆どない。 微かには過去を辿れるモノの、断片が多すぎてあやふやにしか分からない。 目の前に大勢の男らしき人物がいて、私を揃って眺めているとか。 崩れかけた街並みらしき風景だとか。そんな事しか思い出せない。 記憶がないわけじゃない。微かに思い出せるケド完全には思い出せない。 記憶とは脳にインプットされた情報を再生、再認できて初めて記憶と呼べる。 例えるならビデオテープと同じである。 一度起きた出来事を脳というビデオテープに記録していく。 そして巻き戻す事でビデオテープに記憶した映像等を遡って行く。 最後に再生ボタンを押す事で以前記録された情報を順番に再生する。 このメカニズムが即ち脳から引っ張り出す過去の記憶なのだ。 今の私は、例えるならビデオを再生中にビリビリ、と画面が訳の分からない、 砂嵐のような状況で音声すらマトモに聞き取れない箇所が無数に存在するという感じ。 そんな難しい顔で私は暫く看護婦を見つめてしまっていたようだ。 「どうかされましたか?」 其の言葉で私は我にかえる。 「いえ、何でもありません。そうですか、具体的には退院は何時頃になるのでしょうか。」 退院とは医師からもう大丈夫だと判断され、病院から開放される事を示すのだが、 記憶が辿れない私にとって、病院を追い出されたところで行くアテがないのは明白な事実。 思い出すまで病院に留まるのも一つの選択なのだが、私のこの状況を知らないという事は、 恐らく医師は私の記憶障害と呼べる此れを知らないのだろう。 行くアテもないので、一先ず看護婦に其れを話してもう少し病院に居座れないか試みる事にする。 「私、此処にどうして居るのか分からないのですが、宜しければ詳しい内容を教えて頂けますか?」 其の問いに看護婦は唖然として言葉を失っていた。 どうやら記憶が飛んでいることは看護婦には分からなかったらしい。 其れも其のはず、私が此処へ送られてきたのは数ヶ月前という事で、 其の時、意識不明で其の数ヶ月間ずっと昏睡状態にあったと言う。 目を覚ましたのはつい最近で、看護婦や医師が訪問に来ても、 体が動かすものの、一言も話さなかったという。 医師は一種のショック状態にあるのだろうと判断して暫く様子を見ることにしたらしい。 そして此処数日で私は言葉を交わすようになったらしく、 医師は此れなら大丈夫だと判断したようだ。 だがこんな記憶が曖昧で其の話した数日すら思い出せない私を、 もう大丈夫だと判断する医師も医師だと私は思う。 看護婦は暫しあらましを話した後、どうして此処へ送られてきたかを話そうとするのだが、 其の仕草は何とも言い難そうな表情でもあった。 「どうかされましたか? 余り話したくない内容でしたら別に構いませんが。」 知らない方が良い事かもしれないと判断した私はそう看護婦に告げてみるのだが、 其の一言が看護婦の引き金となったのか、ヨシ! と一人で覚悟を決めたようにして、 内容を話しはじめた。 話しによると私はどうやら制服を身にまとって下校途中だったらしい。 其のときに同じ学園の男性生徒6名に無理矢理連れこまれたらしい。 場所は今は使われて居ない瓦礫と化した廃ビル。 何とも低脳な奴等が考えそうな場所ではある、と酷く頭が痛くなる。 問題は此処からで私は女性であり、相手は数名居る中、 どう抵抗しても力のある男性にはただの悪あがきにしか過ぎず、 其の後は察しの通り、ハイエナ共のやりたい放題されたという事だ。 発見されたのは其れが起きてから直ぐだったらしい。 発見当時、私の制服は無残にも脱がされ、ボロボロにされていて、 全身裸だったと聞く。 気を失いながらも私の目からは大量の涙が溢れていて、 酷く疲れているように見えていたらしい。 其処から近くの病院へ運ばれて、数ヶ月間昏睡状態だった。 という事らしい。 成る程、理解は出来た。其れなら先刻思い出した数名の男性、瓦礫のような街並みの 記憶にはスジが通る。しかし不覚だ。この私が餓えた男共に好き放題されるとは。 断片的には思い出せるのだが、私は少しだけ格闘技を習っていた事がある。 其れも特殊なモノで私の家に伝わる、いわば自己流の格闘術。 深くは思い出せないのだが、其れで大抵の人間には手を討てるというし、 其の中でも私は郡を抜いていたという位なもの。 ふと最後に疑問に思ったことを看護婦に話してみる。 「私を犯した其の男等は捕まったんですか?」 看護婦は少し考え、眉を顰めて首を横に小さく振った。 まだ捕まっては居ない。同じ学園の制服を着て、6人という情報まであるというに、 警察は何をしているのだろうか…。 今の日本の警察というのはとてもアテにならない。 事件を未然に防ぐという行為も劣っている。 というのも警察は事件が起きる前に通報を受けてもなかなか動こうとはしないのだ。 其のせいで未然に防げる事件も勃発し、手遅れとなって其処から捜査を始める。 警察がもっと動いていればニュースで流れる事件の数も減るだろうに。 警察には警察の事情がある。私は警察じゃないのでそういうのは殆ど分からない。 だが力の無い人間にとって頼れるのは絶対的権力を持ち得た警察しか居ないのだ。 同じ学園、6人、という情報が分かっているのは、 私がこいつ等に拉致される直前を子供が発見していたという。 子供、といっても話しでは17歳だったらしいのだが、 其の子も学校から下校中だったらしく、私が叫んでいるのを目撃していた。 急いで警察へ連絡をいれたのだが、子供だったからなのか、 警察は悪戯だと思い込んだらしく、動こうとはしなかったらしいのだ。 警察といってこういった悪戯電話が一切ない訳じゃない。 寧ろ多いくらいだろう。中高生が面白がって警察へ悪戯に電話を掛ける事も少なくはない。 だが事件は起きてしまった。 其の17歳の少年はどうする事も出来ず、近くの大人を適当に捕まえて電話をさせたという。 其れで警察は動いたらしく、事件現場へ急行するのだが、時既に遅し、私は裸になり、 意識を失って倒れこんでいた、という訳だ。 驚くべきは自分自身だろうか。そういう事実を聞かされても何ら不思議と怖くはない。 当時の私は物凄く怖かったのだろうけど、如何せん記憶が無いので聞いても他人事のようにしか 聞き取れないというのだろうか? そんな事があったんだ、くらいにしか思わなかった。 其れに断片的な記憶が此れで繋がった事を思うと胸のもやもやが少し取れて逆に嬉しいくらいだ。 だが其れは其れ、私を好き放題し、数々の記憶をぶっ飛ばした奴等がまだ野放しというのは やはり気に食わない所がある。私は勝気な性格なのだろう。 された事に関して恐怖心は無いものの、何も出来ず何処の馬の骨かも分からないような そんな奴等に身体を弄ばれた事に大して怒りが沸き起こる。 「内容は分かりました。御丁寧に有難う御座います。言いにくかったかも知れませんが、 私にとって失われた記憶の断片を取り戻す事が出来たので感謝します。」 其の言葉を聞き、動揺一つしない私に呆気を取られたのか、 しばし唖然としていた看護婦が目に映っていたのだが、暫くして、 看護婦は申し訳なさそうに其れじゃまた着ますと部屋を後にした。 一人残された私はベッドへと身体を戻す事にした。 ベッドに乱暴にうつ伏せになり、事件の事を再び考える。 成る程、と私は一人納得をする。 実際考えてみると、そういう事があるとショックで記憶が一時的に飛ぶのも可笑しい話ではない。 寧ろありえて当然という事だろう。 中には余りのショックで自殺を考えるモノや、精神的に可笑しくなり、 まともな人間としては世の中に戻れなくなってしまうケースもなくはないのだ。 其の点まだ私は救いがあった方だろうか…。 とは言え、記憶の殆どが根こそぎ奪われた事実は明白で、此れからどうすればいいのかも、殆ど分からない。 一先ず『近くの病院』と話して居たのでそこら辺を歩き回れば情報が飛んでくるかもしれない。 そうそう、病室という事は部屋の入り口に私の名前が記されているはずだと、 私は重い身体を起こし、部屋の外のドアに記された名前を眺める事にする。 神無月 霊 かんなづき れい 恐らくこう読むのだろう。 どうやら此れが私の名前であるらしい。 神無月 霊と記された部屋の中には私という記憶障害の人物が一人、 ベッドにうつ伏せになって存在するだけだった。 ◇ 新学期、先生の長い話しもようやく終わろうとしていた。 私の隣に座って居る先ほどの女性は、以前として変わらない態度で、 話しを聞いてるのか聞いてないのか解らない感じがする。 だが私にとって正直其れはどうでも良い事なのだ。 私は私の為に話しを聞いて過去に行ってきたように、 何時も通りに学校生活を送れば其れで問題は無いのだ。 平凡。 だが其れは無難だ。何かを思いきってやろうと思えば其れだけ苦労はする。 大変だが充実はしている事だろう。 何も無く、ただ動いてるだけのように学校生活を終え、 進学し、普通にサラリーマンと呼ばれる類へと変貌していく。 其れでも悪くはないのだ。就職さえ出来れば後は働いてお金を貰えば良い。 でも其れは生きる上で当たり前の事で切っても切れない関係にある。 人は何故働くのか。 生活費を養う為、自分が生きて行く為。 じゃあ何故人は生きているのか、生きようとしているのか。 分からない。 でも理由は人により其々なのだから、 此れといった答えはない、ないのだが、 自分が生きる意味だけは持った方が良い気はする。 「お前、何をそんな難しい顔してるんだ?」 先ほどの女性が私の顔を見てそう言った。 いちいち言い返すのも面倒、というより、 今はそんな事を初対面の女性に話すべき内容でもないと思ったので、 何でもないよ、と一言だけ返してうつ伏せになった。 私は普通に愛情を注いで貰い、普通に進学し、普通に育ってきた。 其れに何も不満は感じなかったし、特別やりたい事も無かったので、 今はこのままで良いと思っていた。 無難で手のかからない人間と言えばそうかもしれない。 だが逆に言うと何も特筆すべきスキルが無いつまらない人間。 私は其れでも良いと思っている。 そんなのは人の価値観の話しだ。 自分がやりたいように生きて行けば其れで良いじゃないか。 就職して毎朝満員電車のラッシュに巻き込まれながら、 仕事場に向かい、帰宅して、次の日また同じ事を繰り返す。 其れでも生きてるし、目的はある。 生きて行く為という目的がある。 教室の扉が開く音がする。 私は其れで今まで考えていた思考を停止させられる事となった。 どうやら私がつまらない事を考えてる間に話しは終わり、 先生は教室から姿を消していた。 何時の間にか教室の中は生徒の話し声で溢れていた。 其れまで嘘のように静まりかえっていた空気とは別の空気になっていた。 ふと隣に座る女性の姿を見てみる事にする。 其処には、何処か遠くを見つめているかのように、 何処か淋しげな瞳をする一人の女性が映っていた。 ◇ 気が付くと私は呆けていたらしい。 隣に座る一見ぱっとしない男性の横に私は座って居る。 名前は知らないが、見てるだけで何処かはらただしくなる。 私の問いに答えなかったから、いや、其れとは何か別のモノだろうか。 私は第一問いに答えなかったからといってイライラするような、 そんな小さい人間では無いのだ。じゃあ何なのだろうか。 分からない。 分からなくても別に困りはしないだろう。 気にして答えの分からない問題に悩んでいる方がよっぽど 精神的に負担がかかると判断した。 先ほどとは違い、話し声で溢れるこの空間に慣れないので、 私は席を外して何処かへ行こうとする。 アテは無い。 ただ此処とは違う何処かへ行き、一人になれる空間を望んだ。 思いついたのは屋上だ。 私は足早に教室を出て屋上へと向かう。 校舎は4階建てとなっている。 1階には生徒の教室は無かった。 下駄箱、玄関、職員室、職員用トイレ、保健室、中庭、 等など、言えば先生方用の都合の良い作りになっていた。 そして2階には1年生の教室があり、3階に2年生、4階に3年生。 そして其の上が普段は使わない屋上が存在する。 私は颯爽と屋上へと足を進ませて階段を登る事にする。 階段は割りと広く、一人で登るには余りにも淋しすぎた。 避難訓練等で、逃げるには此れくらい広いと一斉に階段をかけおりれて、 都合は良いのかも知れない。と誰かが考えてそうな事を思いながら、 私は階段を登り屋上を目指す。 屋上は何も無かった。 殺風景でとても人が来る場所ではないと思う。 教室があるわけでもなければ、グラウンドがあるわけでもない。 プールがあると思えばそうでもない、取り敢えず何も無いのだ。 だが一人になりたい私にとって此れは好都合だと言える。 私の読みは正しかったと言えよう。 屋上は、あの教室で感じた煩い雰囲気は無かった。 空を見上げると青い空と雲が広がっているだけで、 かすかに風の音が耳に入ってくる程度だった。 屋上から見渡す学校の風景は実に豪快なものだった。 家が何件も入りそうな位大きなグラウンドに、 グラウンドの隅に配置された大きな体育館らしき建造物。 其の横には学生が夏場利用すると思われるプールがあった。 私が屋上へ来た理由。 何か考え事があるわけでもない。 ただ今は一人になりたいだけだった。 しかし、其れはあっさりと壊れる事になる。 屋上へと出向く物好きな人間がもう一人やってきたのだ。 ◇ 私は考えていた。 何を? 答えは無い。 答えの出ない悩み程面倒くさいモノはない。 其れは悩んでも悩んでも結局同じことを螺旋のように繰り返すだけだからだ。 あーでもないこーでもない、そんな分かりきった事を延々と繰り返すだけ。 だが人は何かにブチ当たると、そうでもしていないと自我を保てないものだ。 例えば好きな人が出来る、相手は自分をどう思っているかとか分からない。 相手が取る行動から推測して自分が次に取るべき行動を考える。 其処で生じるくだらない螺旋は簡単につきまとってくれる。 電話をしよう、でも今電話したら、いや、電話自体が不自然だ。 用件なんて無いし、きっかけが欲しい、でもどうやって。 告白しよう、でもいきなり告白すればきっと断られる。 なんて事は出口の無い迷宮のように。 もっと簡単に言うのならば、頭をかかえて同じ場所をぐるぐると回るようなもの。 でも其れは自然な事なのだ、人間である以上、自然な事。 どんな人間でも自分の弱い部分を隠すために強い自分を皆に見せて、 弱い部分に触れさせないようにと努力をする。 何が正しいかなんて解らない。 何が間違ってるかなんて解らない。 でも其れは自分自身で少しくらい物事について定義づけても良いモノだと思う。 解らないなら創れば良い、自分が進む道くらい自分で創ってしまうべきだろう。 だから悩むという行動が自分の道を創る為の作業と成り得るのだろう。 「くだらない。」 私は呟いていたようだ。 そんな私の後ろには見慣れた人間が立って居る。 髪は肩くらいまで伸びていて、黒色をしている。 髪型が黒を似合わせるように綺麗に整っている。 顔立ちは普通だ、良いとも悪いとも言えない。 学校、だから当然黒い制服をみにまとっている。 全身を黒で覆われたソレは馴れ馴れしく私に声をかけてくるのだ。 「何がくだらないの?」 お前に説明する必要もない、と言いたいところだが、 私と同じくこんな所へやって来る性格だ、言っても聞かないのだろう。 いや、理由はそんな事じゃないと思う。 もしかしたら私は誰かに─────。 「人間はどうして生きてるんだろうな、と思ってな。」 私は呟いた。こんな考えても辿りつけないような問いに、 彼は手を口元へと持っていき、何やら真剣に考えているようだった。 「人が生きる目的って其々だと思うし、考えても其れは一つじゃないと思う。 実際今の自分だってどうして生きてるのだろう、って考えたことないけど、 言われて考えてみれば何で生きてるんだろう、って思うよ。 でも目の前に課せられた事をただ行ってるだけに過ぎないんじゃないかな。 別段目的があって学校へ進学してるわけでもなければユメがあるわけじゃない。 ただ親や、周りの環境に合わせてただ、だらだらと時間を過ごしてるだけだと思う。」 考えもしなかった返答だが、真剣に考えて精一杯の事を返してくれたのだろう。 だが其れは何処か何も考えてない人間が考えるような事だな、と思うと、 私は知らぬ間にくすりと笑いをこぼし、 「つまらない男だな。」 そう罵倒してやった。してやったのに彼は其れを、 確かにそうだね、と笑い返して返事をくれる。 男の微笑った顔は何処となく、無邪気に笑う子供のようだった。 そんな笑顔は今の私にはとても痛々しいものだったと思う。 男の名前は弓塚 直樹と言うらしい。 勝手に自己紹介されて君の名前は? と馴れ馴れしく、 言ってくるこいつの神経はよく分からなかったが、 こいつからしてみれば私は一クラスメイトとなっているのだから、 名前を聞くのは自然な流れと言えばそうだろう。 「神無月 霊。」 私は愛想無く、顔を見ないでそう答えた。 ふーん、と興味無さそうな返事を返してくれる弓塚 直樹。 一瞬腹が立ったが、顔を見て見ると、私の方を見て、 返事とはうらはらに何やら瞳を輝かせているのが見えた。 「気色悪い男め。」 私は彼をそう罵倒した。 彼は言う。 「気色悪い、とは心外だな。何をどう見ればそう見えるんだい? 私はただ名前を聞いただけじゃないか。」 少し怒ったようにも見えたのだが、別段そういう訳ではないらしい。 だが今時の中学生で自分を「私」と一人称をつける男もそう多くはないだろう。 寧ろ珍しい類だと思う。 其れを考えるとますますこの男を気色悪いと思った。 「お前、女みたいな奴だな。」 私は言う。 彼はそうだね、と笑いながら、 「よく言われるよ。」 とまた笑顔で返してくれる。 私は過去に出くわした事故以来、感情が薄れてしまっている。 まだ記憶も定かではない頃に、男子生徒数人に拉致られて、 身体を好き放題にされた過去を持っている。 其のことについては殆どと言って良い程記憶が無いのだ。 其れは幸いと言えば幸いなのだろうか。 だが其の日以来、私は何処か男性を毛嫌いしてしまう傾向にはある。 男性だけではない。人間そのものを拒絶しそうな悪寒に襲われる。 ◇ 彼女は果ての無い何処かを見据えるような瞳で空を見上げている。 私には其れをただ見ているだけしか出来なかった。 何処か悲しそうな、其れでいて何かを忘れようとしているような。 何にでも捉えられるような瞳をして空を見上げている。 でも其れだけで彼女は絵になるのだ。 それほどまでに綺麗に仕上げられた容姿。 男からすれば其れはまるで──────。 此処へ来る途中、購買があった。 其処で買って来たクリームの入ったパンがあるのを思い出す。 購買は普通一階にありそうなものなのだが、この学校では、 私の教室、だから二階にある事になる。 此れから一年間同じ教室で過ごし、毎日のように利用すると思われる人にとって、 何とも願ってもない事だと思う。 私は屋上へ来る途中に購買でクリームパンを二つ買ったのだ。 120円、と聞きなれた値段で売られている其れは学生にとっては、 何ら高くもないと思えば、安くもないと思わせるくらいの値段だろう。 其れと私はパンに合いそうな飲み物を二つ、買ってから屋上へと来た。 パンと飲み物でワンセットとされたものが二つ、一つは勿論私の分。 もう一つは、今日初めて出会った、今隣に居る彼女の分だ。 ◇ 彼、弓塚 直樹は何やら手元にある紙袋をガサガサといじると、 中からビニール袋に包まれたパンらしき物を取り出した。 其れが入っていた紙袋の上に丁寧に置かれた其れはもう一つ出てきた。 勿論食べるのだろう、そう思っていると彼は私に其れを差し出して、 「パン、買ってきたんだけど、食べる?」 彼はそういって片手にパンを持ち、もう片手に其れに合わせたと思われる、 飲み物と一緒に私の目の前に持ってきた。 そういえば私は朝から何も食べていない。 意味が無い、と自分で言った学校へと自らが出向き、 朝食を取るのも億劫だったので何も胃に入れずに登校してきたのだ。 「食べる? ってお前の分は?」 そんなどうでも良い事を私は口走っていた。 そういうと彼はへへー、っと何か得意げになって、 紙袋の中から同じセットをもう一つ出してきて私に見せてくる。 私の分はあるから大丈夫、と其の光景だけで分からせてくれる。 「じゃあ、貰っておくよ。」 そういって目の前に差し出されたパンと飲み物を受け取って食べる事にした。 ◇ 俺は先生の話しが終わってからも席にいた。 小学校の頃と代わり映えのしないこの教室で、 何の変化も無い日常に嫌気がさしてきたのは丁度この頃だ。 刺激が欲しい、そう素直に思っていた。 求めていた刺激はいとも簡単に俺の目の前へと飛び込んできた。 俺は教室の丁度真ん中の席に座って居る。 先生が生徒簿を開き、名前を読み上げる中で一際目立つ名前の人間がいた。 神無月 霊。 かんなづき れい とそう先生が口にし、愛想無い返事をした一際目立つ人物。 ソレを目の当たりにした俺は一目惚れだった。 紫がかった綺麗な髪を靡かせる、綺麗に整えられた髪。 其れにあわせられたかのようなしなやかな顔立ち。 同じ制服をみにまとう女子生徒の中で、一番制服を着こなすソレ。 学生を連想させてくれない女子生徒、いや、女性、という表現が正しいだろう。 見る者を即座に虜にさせる、其れだけの魅力を持ち合わせた人間。 容姿だけで言えば其れは女性の中ではパーフェクト、という単語がぴったりだろう。 俺は欲しいと思った。 其の女が、心の底から欲しいと思った。 俺は自信があった。容姿だけで言うなら俺はモテる方だった。 小学校の頃からイベントとなると女子が散々俺を求めていた。 バレンタインだって貰ったチョコレートの数なんて数え切れないくらい貰っている。 だからこそ思うのだ。其れは自信という形で俺を思考から行動へと変えてくれる。 世の中で一番好きなもの。 其れは御金とか、名誉とかそんなんじゃない。 女。 俺が一番好きなものは女なんだ。 自分が好きとかじゃなくて、自分に言い寄って来る女が好きだった。 其の中には可愛い子も居ればそうじゃない子も勿論居る。 だが可愛い、というのは其れこそ他人から見た基準でしかない。 俺は可愛いと思う子でも他の奴からしてみれば、 「お前趣味わりぃな」と思われることだって少なからずあるのだ。 其れは可愛いとか人の容姿だけでじゃなく、性格や世の中の物事総てにおいて言える。 好き勝手に戦争をする人、そうじゃない人。 其れに賛成する人間、反対する人間。 政治、経済、犯罪、法律。 其の総てに賛否両論があり、人の数だけ物事の捉え方ってもんがある。 だがこの女は違う。 誰からの目で見ても「綺麗」という単語しか思い浮かばないだろう。 俺には其れだけの自信があった。 こんな女逃がしたら、一生どころが来世でも出会えるかどうか分からない。 そう直感させていたのだ。 俺は知らずのうちに興奮してしまったらしい。 辺りを見回すと調子が悪いの? と聞いてくる奴もいれば、 ヘンなモノを見るような目つきで俺を非難する奴もいた。 俺とした事が理性を少しの間失っていたようだ。 だが其れでも良いと思った。 此処にきてやっと「刺激」を見つけられたのだから。 「うっせぇんだよ!」 お前等に用は無い、そう言わんとする態度で、 そこらの連中を一喝して俺は其の女をまた見る事にした。 と、女を見つけると何やら立ち上がり、席を立って教室から出て行った。 其の隣には、何処にでも居るような平凡な男が其の女性の背中を見つめていた。 髪は肩くらいまでで綺麗に整っている。 髪が黒なら勿論制服なので全身真っ黒だ。 顔立ちはぱっとしない、冴えない顔立ち。 其の容姿にぴったりあった顔立ちだな、と少し笑いが毀れたが、 そんな事をしてる間に其の男は席を立ち、仕草からするにどうやら、 先ほどの女性、神無月 霊を追いかけるように見えた。 そうはさせるか。 先を越されまい、と俺も席を立って教室を後にした。 ◇ …どれくらいの時間が流れただろうか。 私と隣の男、弓塚 直樹は黙々と手渡されたパンを食べていた。 パンを食べながら私は空を見上げて雲を追いかけていた。 瞳に映る雲の数を数えたり、 あの雲はあのまま流れて何処へ行くのだろうか、 などとくだらない事を考えながらパンを食べていた。 そんなくだらない思考は弓塚 直樹が消してくれる事になった。 ガサガサ、と何やら不細工な音が耳に響き渡ってくる。 どうやら弓塚はパンを食べ終えたらしく、パンを包んでいたビニール袋と、 手に持っている飲み終えたゴミをせっせと紙袋の中へとしまいこんでいた。 居るかどうかも分からない私の分のパンと飲み物を買ったり、 其れを丁寧にも紙袋へとゴミを片付けたりと、几帳面、という単語が浮かぶ。 食べ終えて満足したのか、ふう、と情けない溜め息をついて彼は空を見上げている。 丁度私が取っている行動と同じようにして、空をただ見上げている。 其の瞳はとても透き通っている。 距離にして僅か1メートル位の至近距離。 私は自分の視点を空から弓塚の瞳へと移すと、 瞳の中には私が先ほどまで見ていた空の風景が見えるように思えた。 其処には一点の曇りも無く、ただ真っ直ぐに空を見上げる瞳があった。 「幸せそうな奴め。」 弓塚には聞こえないように呟いて、私は食べかけのパンを口にし、 また視点を空へと戻していた。 |