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矛盾交差







一九九八年 四月。


新しい赤と黒のランドセルが賑わう通学路。
其の中で目立つ黒い服を身に纏う集団。


中学生。


小学生と中学生の違いは、主にランドセルから学校指定の鞄に変わったり、
学校指定の制服を義務付けられる事と、学校食とは違って御弁当持参だったりとか。
義務教育でありながらも無駄に指定づけられて、変なところに出費がかさむな、とつくづく思うのだ。
別に制服でなくても私服でも良いとは思うし、鞄だって普段使うような鞄で良いと思う。
学校で使う教科書やノートの一日分が、全て納まれば何でも良い気がする。
高校生になると制服を義務付けられている学校ではまた新しい制服が要る。
其れもちゃんと冬用や夏用のズボン、上着全て買い揃える事になる。
上履きはまぁ、仕方ないとしても何かと出費がかさむ時期なのだ。
でも全員が学校指定のモノを身につけていると、何とも統一感があって見栄えは良いと思う。
勿論私が払ってるわけでもないのだが、其処らへんがどうにも、大人が御金を儲ける為の策としか思えないのだ。

例えば聖バレンタインなんかも其の一つだろう。
バレンタインは二月十四日、アイルランド人のValentineという、
キリスト教徒がローマ皇帝に処刑された日として記されてある。
結婚を禁じ、隠れて結婚をする若者等の手助けをしたのがValentineだという。
其れが発覚し、処刑された日・・・ゆえにバレンタインデー。

女性がチョコレートを男性へと贈る習慣付けたのは新宿伊勢丹が始まり。
当時のお菓子商戦の結果こういう習慣がついたという。
幅広くいくと、お菓子や花束何かも贈られる国もある。

バレンタインデーだからチョコレートを、というのは、
全く無関係なのだ。繋がりを言うなれば、
ローマでは祭りの日と称され、各々がくじ引きをし、
当たった男女が交際するというところだろうか…。

バレンタインデーという本来の理由よりも、
其れを利用してチョコレートを贈って利益を上げるという考えだと思う。
業者からすればバレンタインデーというのは、
一日だけだが、お菓子の売り上げがグッと伸びる日。
今の世の中、取れるところからは御金を絞りとっているようにしか見えない。





今年で中学生となった私こと弓塚 直樹は、
中学生だと自覚させられる制服を着用し、学校へと登校するのだ。
其処には何の面白みもなく、ただ刻の流れるままにと毎日を学校で過ごす。
そんな当たり前で平凡な其れは退屈ではあったが、
苦痛でもなかった。唯一、楽しみがあるとするならば、
神無月 霊に逢える場所、というだけだろうか。





あの日、席を立った神無月と、隣にいた冴えない男を見つけられなかった俺は、
仕方なく教室へと戻り、帰宅の準備をして学校を後にした。
俺の名前は橘 健次郎。
学校から家までの距離は差ほど遠くはなく、歩いていっても苦にはならない距離。
近いと言えば近いのだが、流石に面倒なので歩いて行くよりも、
折角自転車があるのだから活用したいと思う。
帰宅途中に同じ学校の制服を纏う学生等をたびたび見かけたので、
神無月が居ないかどうかチェックはしていたのだが、見つける事は出来ず。
まあ、学校へ行けば何時でも逢えるのだが、其れでももう一度。
今すぐにでも一目見たいと思ったのだ。

だが其れは直ぐに実現した。

学校から家までの間に一つだけ小さな交差点がある。
其の交差点には信号は無く、車やバイクといったモノが通ることは少ない。
主に学校の通勤としての道では使われないのだが、
家から行くには近道になるので何時も通学路を無視して此処を通っている。
後姿だけで其れだと分かるのは、やはりそいつが完璧なまでに仕上げられているからだろう。
世の中これほどまでに完璧な人間が居て、其れには到底及ばない人間がいるのは、
不平等な気はするが、其れは神様の悪戯なのかなんなのかは分からない。
俺は正面から見る為に自転車を彼女の前へと進ませることにする。

後姿とは違い、正面から見た其れは学校とは変わらない無愛想な態度と、
其れをも美しく見せる容姿をしていた。
しばし見とれていたのだろう、不審に思ったのか声をかけてきた。

「何か私に用でもあるのか? 其処の男。」

攻撃的なこの口調がなければ、こいつは男を弄んで一生を遊んで暮らせただろう。
世の中の男がこんな人間を野放しにするとは到底に思えないからだ。

「お前、神無月 霊ってんだろ? 知ってるぜ。」

ああ、とだけ頷いて用が無いなら私は帰ると一言だけ言って、彼女は俺の真横を抜けて歩き出した。
暫く其の後姿、歩き方一つですら他人と同じだというのに、決まってこの女だけは優雅に見えてしまう
取り敢えず当初の目的は果たした。まさか声までかけられるとは思わなかったが、まぁ一応はヨシとしよう。

そうして俺は止めていた自転車をまた走らせて家へと帰ることにした。





学校生活が序々に慣れだしてきた。
日付はじきに五月へと変わろうとしている、四月最終日。

相変わらずな態度を見せる神無月 霊。
どうも神無月という名前は嫌いらしいので私は何時も霊と呼んでいる。
可愛らしい名前だな、とは思っているのだが、
どうして嫌いなのかの理由は話してくれずじまいなのだ。
偶にからかって神無月、とか呼ぶと無言で睨まれるので、
そうやってからかうのは止めにした。

何時ものように学校へと登校途中、私は厭なモノを見る事となった。
黒板を爪で引っかいたような其の音は直ぐに私の耳へと伝わる。
どうやら其の音は近いらしく、私は音のした方へと顔を向けてみる。
其処には道を大きく外れてガードレールに突っ込んだ黒い乗用車と、
其の傍で倒れている制服を着用する──あれは女子生徒だろう。
酷く、鮮明な赤に覆われた其れは既に人としての原型が分からない位染まっている。
手足の柔軟が利く人形を高いところから落としたような其れはピクリとも動かない。
地面には夥(おびただ)しいまでの赤いペンキが乱暴に塗られたようになっている。
状況から把握出来るのは車が女子生徒に接触しようとし、其れをかわそうと、
ガードレールへと突っ込んだのだが間に合わず接触し、車に撥ねられた、という所だろう。
車に撥ねれるとこれほどまでに血が飛び散るものなのだろうか。

辺りには野次馬が沢山並んでいる。
気づけば私の位置から其の状況を一望する事は出来なくなっていた。
朝の穏やかな空気は一遍し、其の空間だけがざわめいていた。

道路には横断歩道が無く、車の通路からして、人が撥ねられる状況ではない。
きっと女子生徒は車が通る道を横断し、運悪くも車に撥ねられたのだろう。
恐らく車を運転する運転手も其れを予想してはいなかった事だろう。


哀れ。


其れは動かなくなった人形に向けられたものでもなければ、
巻き込まれた運転手に向けられたものでもなかった。
どちらに向けるでもなく思った其れは哀しくも野次馬のざわめきに消される。
少量の水が蒸発する其れに似ていた。

其れでも私に出来るのは其のまま学校へと登校する事だけなので、
左手につけられた腕時計を見、遅刻しそうなのを確認して足早に、
其の場を逃げるようにと走っていった。





息を切らせて学校へ飛び込み、教室へ入ると時刻は直に八時半になろうとしていた。
先生はまだ着ていないのでギリギリセーフ、という所だろうか。
普段運動をしない自分にとって走るというのは体にとても負担をかける事だった。
まだ夏でもないのに体中が熱を帯びて今にも噴出しそうな位熱い。
はぁはぁ、とだらしなくも息を切らせながら覚束ない足取りで私は席へと移動する。
ちょっと家から学校まで走ったってだけで此れ程までに疲れるなんて、
もっと運動しなきゃならないな、と強く実感させられたのは言うまでもないだろう。

席に着くや否や隣に座る一人の女子生徒、いや、女性という表現が正しいだろうか。
紫がかった髪、其れを完璧なまでに仕上げられた髪型。
それにあわせられるかのように丁寧に着こなされた制服。
言うまでもなく、其れは神無月 霊なのだ。

「おはよう、霊。」

呼吸を落ち着かせ、鼓動が肉眼でも分かるんじゃないかって位乱れてる中、私は霊に挨拶をする。

「朝から騒々しい奴だな。もっと静かに登校出来ないのか、おまえは。」

霊の口調も相変わらずである。四月の最終日。
直、五月へとなろうとしてる中で私は厄日だ、と勝手に決めつけてみたりもする。

そうそう、厄日、というよりそもそも家を自分が定める時間に出てきたというのにも関わらず、
こういう目にあったのは来る途中に見かけた交通事故のせいなのだ。
其れを今日は話しのネタにと霊にしてやろうと思う。
交通事故をただの話しのネタにと使う私の神経はどうかしてるかもしれない。

「今日さ、此処へ来る途中に交通事故を見たんだよ。
黒い乗用車と女子生徒がぶつかる、っていうシーンなんだけどね。
交通事故って結局は車が悪いように捉えられるのかな?
人を死なせてしまった以上はやっぱり車側に責任を問われる事になるんだろうけど。
でもさ、普通の交通路でもない所を歩く生徒側にもやっぱり問題はあると思うんだ。」

私は取り敢えず目で見た状況とそれに対する疑問を霊にぶつけてみる。
すると霊は眉を顰めながらこう言った。

「おまえ、かといって死人に責任取れ、というのか?
生きてるのならまだしも、死んでしまった人間に其れは出来ないだろう?
形はどうあれ、衝突という形で人一人の命は絶たれたんだ。
此れから先色んな事とか経験するはずだったのに、
ちょっとした事がきっかけで無に還された。無に還された人間、いや、
人間とは呼べないか、魂、其の魂に直接話しを聞けるわけでも何でもないだろ?
意志を持った魂は魂としても立派だが、肝心な肉体が無ければ言語は愚か、
自分の意志で体を動かす、という動作も取れないんだ。
でもおまえの言う事も分かるよ。交通路でもない場所を横断して
目の前に迫る車に気づかず轢かれて自ら命を絶った。
自殺でもするつもりだったのか、という位のシチュエーションでもあるしな。
そんなつもりはなかったと言えど、状況から見てみれば不運な事故なんだが、
自分で命を絶った、と言われても否定出来ない事でもあるよな。
轢かれた側も、轢いた側も、まさかこんな事になるとは思ってもみなかった事だろうな。
でも警察側としてはやっぱりどうであれ結果を見るんだよ。
形はどうあれ、結果として死んだのは交通路を無視して横断した生徒。
生きてるのは其の生徒を轢いた運転手、こうなれば責任はやはり生きてる人間に
回ってくるもんじゃないか。保証人とかでもそうだろ?
実際に借りてる人間が逃走すると其の責任は其の逃走した人間ではなく、
保証人となった人間へと回ってくる。
逃走して行方が分からない人間を探し、絞り取るよりも、
保証人として現在近くにいて、スグに逢える人間にしか出来ない。
逃走して居ないなんていうのは其の空間からしてみれば死んでるようなものだろう?」

長々と語る霊の言う事には確かにスジは通ってると思う。
なかなか面白い例えだろ? と目で訴えてくるのだが、少々それは無理があるような。
だが死んだ其の生徒を仮にも逃走したと考えると納得は出来るかも知れない。

考えてみれば生徒側に問題があったとしてもやはり死んでしまった以上は、
人としては扱えない、ましてや言語を話すという事も出来はしない。
責任を取れ、責任を持て、という方が所詮は無理な話なのだ。
ならば、仮にもこの生徒が生きていた場合はどうなるのだろう…。

やはり其処らへんは法律に基づいて判断されるのだろうけど、如何せん法律には詳しくない。
ましてや自分の此れからの生活での新しい学校で、勉強する自分にとっては、
そんなわけのわからない法律に関して目を向けてる余裕すらないのだ。

「じゃあ霊はやっぱり生きてる人間、えーっと、運転手に責任を取れって言ってるの?」

私は考えすぎてパンクしそうな頭を整理して疑問だけを搾り出して言ってみる。

霊はまた難しい顔をしながら一言だけ、

「…じゃなきゃどっから話を進めていきゃいいんだよ。」

きっと生徒は自殺ではなかったと思う。
人の中では良くある事を行っただけに過ぎないのだろう。
そう、横断歩道の無い道路でも、狭い道路で、反対側へと渡る方が近いとする。
だとすれば、態々横断歩道の見えるところまで行って、信号機が赤から青へと変わるまで
待ち続けるよりよっぽど効率は良いのだ。実際私だってそういう経験は何度もあるのだ。
ただこういう結果になるとは思わずに、偶々車と衝突したってだけで、
何食わぬ顔で横断していても、何時自分もそんな事故に巻き込まれるかなんて分からない。
幾ら細心の注意を払った所で事故というのはいきなり起きてしまう。だからこそ『事故』と語られるように…。

歩行者、自転車、バイク、車の順で罪を問われる度が高くなる。
まぁ歩行者は人を殺せるようなモノは無いのだが、自転車やバイク、車といった類は
そういうわけにはいかない。自らが細心の注意を払い、ルールを守り、運転をしていた所で
今回のように人を撥ねてしまったのなら、やはり責任を問われる形となってしまうだろう。
でも責任とは何をどうする事なのか…? 死んでしまった以上、何をしても其の人が蘇る訳でもないし、
御金を払えばすむという安易な問題でもないのだし。
ましてや突然目の前に飛び込んで来たのは知人でもなければ肉親でもないただの赤の他人なのだから…。

きっと其の生徒にも父や母、もしかしたら姉や妹、兄や弟が居たかもしれない。
肉親は車で轢いた運転手を責める、責めざるをえない感情を抱くに違いない。
こうなると運転手は巻き添えを食らったと考えるべきかもしれない。
ただ被害はどちらにもあるのだ。人を失った肉親、知人。
人を撥ねて罪を問われる運転手、其の人にだって家庭はあるのだし。

自転車と車がぶつかった場合、幾ら自分が不注意で事故を起こしたとしても、
病院でかかる費用とか、自転車代とか、仕事をして要れば其の間勤務出来なかった時の
見積もり金額等全て車を運転していた側から支払われる。
勿論車が元の形を保っていなくとも、保険に入ってるだろうから、自分の車の保険でどうにかするだろう。

自転車やバイクや車、人が生活をする上でとても便利で効率の良い乗り物。
歩くより自転車のが労働力は少なく、スムーズに移動する事が出来るので
活用する人は多い。自転車に良く似たモデルのバイクは自転車より遥かに効率が出せる乗り物だ。
車はバイクよりもスピードが出せるわけでもなければ幅も取るし、
運転もなかなか難しくバイクより手軽とは言えないのだが、
簡単に言うと雨をしのぎつつ運転出来たり、或いは荷物を運んだりと、日常生活では当たり前のように使われている。
勿論此れは人間の持てる知識と経験で造られたモノに過ぎないのだが、
便利さを求めて造り上げられたこれらのモノも、使い方一つでは、
何にも代える事の出来ない人の命を奪ってしまうモノになってしまう。

人は多くの知識、経験を持ちえて要る。其の反面、在りのままではとても脆く崩れ易いのだ。
幾ら知識を持っていようと、幾ら技術を持っていようと其れを造りださなければ生活をしていく事は難しい。
人は人で自らを守るべくして、科学を発達させていく。便利さを求めると同時に人間を守る術をつけていくのだ。
其の一つが家であったり、服であったり、生活用品だったりと種類は様々で言い出すとキリが無い。

学校で勉強する算数、中学では数学、
此れらのモノも、便利さを追求して産み出されたモノでしかない。
そうする事で人は一定の法律に伴って、区別し、判断し、答えを導き出す事が出来る。
例えば物差があるとする。其の物差の長さが仮にも三〇cmくらいとしよう。
だが此れには『センチメートル』という単位と数字が設けられているから分かる事で、
其れを見せれば誰でも「この物差は三〇cmなんだ」と納得する事が出来る。
この定義が無ければ定める事は愚か、色々な意見が飛びかい、収集がつかなくなるだろう。

だからこそ法律が存在し、今回のような事故にもちゃんとした法律が存在し、
其の法律によって死んだ人間、生きている人間を法律によって縛られた国が判断を下す。
人間自らが産み出した法律に人間自らが裁かれるなんて、何とも皮肉な話しだ。

人が産み出した此れ等全てのモノは、人を導く事も出来れば
其の逆で人をいとも簡単に殺める事も出来る。
結論から私はこういう事が言いたいのだと思う。

深く悩んでいると霊が口を開いた。

「人は死ぬと今まで必死になって抱えてきた事の全てを自分自身では抱えられなくなってしまう。
そうなると其の人が抱えてきた事をどうすればいいのか、其れは誰かが代わりに抱えてやる事しか出来ないんだよ。
其れが責任を取るって事なんじゃないかな、ほら、良く言うだろ? 死んだアイツの分までなんとか、ってさ。」

言われてみればそうだ。
死んでしまった人間はもう存在しないモノだと過程される。
人の心の中には記憶として残る。其れを忘れる事はない。
言われれば思いだせるから、其れは忘れたとは言えないのだ。
忘れる、というのは自分の記憶の中から完全に消しさる事。
でも其れは知識や感情が無駄に与えられてきた人間には到底出来ない事だろう。
忘れる事は無い、ただ月日と共に其の記憶が薄れてしまうだけ・・・。
なら死んだ人の為にしてやれる事は今生きてる自分が、死んだ人の分を生き抜く事だけなのだ。
其れが例え赤の他人であったとしても、事故という形で関わったのなら此れは他人とは言えないのだ。
他人であって他人ではなくなる、事故はお互いにそういう認識を持たせてしまう。

運転手は至って普通であっても、人を殺してしまった事に変わりはない。
無理遣りに言ってしまえば他殺とも取れるこの状況。
法律で裁かれ、其の後どうなるかは解らないが、そうやって、
罪を償って行く事も、亡くなった人が背負ってきたモノを代わりに
背負って行く事となる、其れは人を撥ねたという呪いとして。


加害者であり、被害者。


響きは余り宜しくない。矛盾もしている。
害を加えた者でありながら、害を被った者でもあるのだ。
今回のケースはそうだろう。人を撥ねたという点においては加害者となる。
だが、予想だにしていなかったこの展開、
生徒が飛び出してこなければこんな事にはならなかったのだから、当然被害者とも取れる立場にあるのだ。
勿論其れは死んでしまった生徒にも同じ事が言えるのだ。
運転手をこんな形に持っていってしまった事、其れは加害者側になる。
だが結果として撥ねられて死んでしまったのだから被害者となる。
あの時車が通らなければこんな事にはならなかったのだから。

「事故って難しいね。結局どっちが悪いとかって決められないよね。」

私は霊にそう一言だけ言う。

霊は話しに飽きてしまったのか、溜め息混じりに、

「おまえが考えたって世の中がどう変わるってわけでもないだろうに。」

そんな当たり前の事を言われるが、其れは同時にこの話の中で一番適切な発言でもあった。
私はそんな発言に対して、ああ、とだけ返事をした。

時刻は直、九時になろうとしていた。
此れだけの話しで丸一日分の授業を聞かされ、考えた気分になった。





平凡だ。


相変わらず普段と変わらない時間が過ぎて行く。
唯一、この平凡という道に割りこんできたというのなら、
其れは今朝、学校へ来る途中に出くわした交通事故、だろう。

幾ら平凡だからといっても、こんなカタチで刺激を貰うことになるとは、
正直自分でも考えはしなかった。でも此れは私にとっては大事な経験となった。
勿論今回は私と何の関わりもない人間が事件を巻き起こしたのだが、
其れが何時自分の知人であったり、肉親であったり、恋人であったり、
自分自身だったり…、このような事故に巻き込まれるかは分からないのだ。
もしかしたら一方的な加害者になったり、被害者になったりするか分からない。

いや、今はこんな事を考えず、何時も通り時間を過ごすことにしよう。

今は授業中だ。先生が黒板に文字を書き、其れを説明し、生徒にノートを取らせている。
私は今朝の事を無駄に考えすぎて全く授業に取り込めないで居た。
気分転換にも何にもならないが、教室を少し見渡してみる事にした。
教卓の前には先生が教科書を開いて手に持っている。
器用なことに、現在説明をしているページを開いたまま掌でそれを支え、
黒板にさらさら、と手馴れた手付きで真っ白い文字を書いて行くのだ。

教室一面に黒い服が各自の机に席をつけ、綺麗に並んでいる。
今日は珍しくも欠席者は居ない。勿論神無月 霊も出席している。
今朝、担当の紅蓮先生が「今日は欠席者が居ないですね。」と喜んでいたくらいだ。
40人弱というこの一塊の中で欠席者が無く、全員出席という形になるのは極めて稀な状況である。
新学期最初の入学式ですら欠席者がちらほらと見られたくらいなのだ。

月日が流れると共に全身を黒で覆ったこの制服は次第に
夏物へと着替える事で其れは涼しげな服装に変わって行く。
今はまだ4月、もう明日で5月になる。5月といえど、まだ油断は出来ない。
寒さもあれば暑さもあり、とても中途半端で、気候も変わり易い。
この季節の変わり目とも言われるべき四月では、異常な温度差によって体調を崩す生徒も少なくはないのだ。

教室を見渡してから私は視線を隣の席へと移すことにする。
黒い制服を身に纏い、紫がかった髪を靡かせる其れは、
ノートを開いて黒板の文字を書き記している…ように見えたのだが、
可笑しな事に霊は黒板に一度も目を向けて居ないのだ。
何かを書いてるのかと思った其れは違い、ただシャーペンをとんとん、とノートに突きつけているだけだったのだ。

私と同じく霊も今朝の事で授業に集中出来ないのだろうか。いや、其れは恐らく私の勘違いだろう。
霊は最初に言った。学校で習う事に意味が無い、と。ならどうして着てるのか、其れは単にやる事が無いから、という事も。

私の視線に気づいたのか、シャーペンの動きが止まり、私の方へと視線を向けた。

「人の顔をジロジロ見て、何かついてるか? 私の顔に。」

霊の的外れな問いに私は何でもないよと返す。

「何でもないのにおまえは人の顔を見るのか。気色悪い、というのはあながち間違ってはなかったようだな。」

此れは私に言うでもなく、ただ自分に言ってるように見えた。以前屋上で私は気色悪い男だと言われた事があった。
其れを今の行動で再認識してやっぱり自分の言った事は正しかった。と、自分に言い聞かせてるだけなのだろう。
特別気にも止めていなかったので其の発言は無視する事にした。

「そういえばおまえ珍しいな。今日に限って挙動不審みたいになってるが、
まさかとは思うが今朝の事故の事をまだ考えてるんじゃないだろうな?」

さっきの的外れな問いと違って今回はドンピシャ。完全に的を得た発言を繰り出してくる。
さっきのはただのおとりというか牽制というか、わざとなんじゃないだろうかと思わせるくらいの素振りだった。

「はは、御名答。どうにも納得が行かない、というか、
やっぱり自分でもいきなりの出来事でね、ちょっと落ち着かないんだ。」

此れは嘘だ。恐らく自分で嘘をついてる。
確かに事実、朝からあんな場面に出くわしてから授業に集中しろ、というのも
結構無理がある話しではあるのだが、私はきっとそんな事で集中出来ないわけじゃない。
じゃあ一体何なのか、加害者でありながら被害者でもある両名に対しての事か?
其れとも自分が何時あんな事に巻き込まれるかも知れないという不安からなのか。

「さっきもいっただろ?おまえが考えたところで何も変わりはしないんだから
大人しく授業聞いてた方がよっぽど良いと思うぞ。くだらない話だが
気持ちの切り替えくらいにはなるだろう。」

気休めのつもりなのか或いは本気で私を思ってくれての言葉なのか。
其れは分からないが、取り敢えず今は他に出来る事もないので、
一旦事故の事は隅の方に追いやり、勉強へと思考を切り替える事にした。

授業に集中すると時間の経過は一瞬にして流れて行く。
気が付けばもう六間目が終わった所だった。
今日の科目は一間目が国語、そして英語、社会、理科、数学、数学。
数学が二時間もあるのは少し動揺した。
この二時間だけでノートに書いた計算式はざっと二〇ページを超えていた。
というのも数学の先生のペースが他の先生に比べてかなり早いのだ。
黒板の計算式を写してる間に次の計算へと移っていた。
とてもじゃないが今朝のように悩んだまま取り込んでいたら、
きっと全てを写しきる事は出来なかっただろう。

今日一日の全ての科目を遣り終え、皆掃除へと移ることになった。
私の掃除場所は楽とも苦とも言えない教室の掃除。
他にも廊下掃除や、トイレ掃除、保健室の掃除、図書室の掃除、と、
かなり幅広く掃除を行うことになっている。
教室から移動しなくても良いのは楽でいいのだが、掃除は掃除。
クラス全員分の机を移動させて、箒で床掃除をしたのち、
今度は机を教卓の方へと全て移動させて、後ろ側の床を掃除する。
其れが終わると今度は教卓へと寄せられた机を元の位置へと戻し、
机の上を雑巾で掃除して終わり、という面倒な掃除なのだ。

霊は、というと黙々と掃除をこなす。
女の子、という事で箒で掃く以外の事は全て男任せという。
でも霊は机を運ぶのを何も言わずに手伝ってくれるのだ。
他の女の子からは「やらなくていいよ、男にやらせればいいの。」というのだが
其れを無視して机を運んでくれる。

掃除をしている間は霊は一言も話さなくなる。名前を呼んでも見向きもしないで
掃除を黙々と続けるのだ。やっぱり何処か変わってる。
机を全て元の位置へと戻し、教室らしくなった所で掃除が終わる。
皆が其々の席へと移動し、椅子に座る。
其処で霊に話しかけると、さっきのように意志が存在しないロボットのような態度とは違い、
何か用か? というような態度で私へと耳を傾けてくれるのだ。

今朝の事故の事を話そうとしたのだが、いいかげんうんざりしてそうなので
其の話をするのは止めておいた。
直、五月に入るというのに、私はまだ霊以外の人間とは話しを交えた事がないのだ。
霊は、というと私と同じくで、他の生徒とは関わりが全くといって言い程ないのだった。

其れは別段気になる事でもなかったし、誰が誰と話そうと其れは人の勝手だ。
こうして何時もくだらない事を悩んでいると霊が其の悩みを消してくれた。

「そうだ、弓塚、おまえ今日時間あるか?」

霊と知り合ってまだ一ヶ月と経っていない中、霊は私に時間があるかと問いただしてくる。
家に帰ると妹は友達と遊びに出かけているし、父は会社で遅くまで仕事をしている。
母は家に居るのだが、家事で忙しい様子。
決まって私は家に帰ると自分の部屋に戻り、制服から動き易い私服へと着替え、
机の上におかれたデスクトップパソコンの電源を入れて、お気に入りのサイトを巡回してるくらいだ。

とりわけ忙しいわけでもなく、折角の霊の誘いなので、

「家に帰っても別にやる事無いから時間はあるよ。君から誘うなんてはじめてじゃないか。
何かたくらんでたりするのか?」

なんてからかってみると霊は本気で気分を害したのか、鋭い目つきで睨み返してくる。
だというのに瞳は透き通っていて、其の瞳の奥には何か別の世界が広がってるのでは、
と思わせるくらいの綺麗な眼をしているのだ。

「別にそんなんじゃないよ、おまえは何時も一言余計だな。
何時か其れがおまえの足元をすくう事になっても知らないからな。」

鵜呑みには出来ない事をさらりと言ってのける霊。
確かに少し度が過ぎたようだ、と深く反省した。

「じゃあ、六時に学校の門の前でいいな?
私はおまえの家を知らないし、おまえも私の家を知らないんだから。」

こっちの都合も聞かないで時間と待ち合わせ場所を強引に指定してくれる霊。
都合といえば何も無いし、とはいえ、他に二人が共通して分かる場所だって思い当たらない。
私が霊の立場なら同じ場所を指定していたと思う。

そうして帰宅をし、私は着替えて母が居る部屋へ足を運ぶ。
私の家は玄関を潜ると右手奥に自分の部屋がある。
其の手前の廊下の左手に母の部屋がある。
母の部屋を潜り、其の先に父の書斎があるのだ。
父は帰宅すると玄関から母の部屋を通り、自分の書斎へと足を運ぶ事になる。
だから、帰宅すると必ず母に挨拶をしてから自分の書斎へと引き篭もって行く。

私は母の部屋へと入り、今日は出かけるから晩御飯は要らないとだけ告げ、
家を後にし、待ち合わせ場所の学校へと出かけて行く。

時刻は直に待ち合わせ時間の六時にさしかかろうとしていた。


六時、夕方。


だと言うのにまだ外は明るさを失ってはいない。
人通りも結構あり、其の光景はまだ自分が昼間だと連想させる。
ぼんやりと付けられた外灯の明かりを眺めていると、誰かの足音が耳に伝わってくる。
其の足音は段々と大きくなり、私の丁度向かい側で止む。
地面には薄っすらと誰かの影が私の体を突きぬけている。
無造作にも顔を上げて其の影の主を見やる事にした。

暗い、といえば暗いこの街並み。
だというのに耐えず人がうろうろとしているのだ。
風が肌を突きぬけてほんのり寒い。

影の主は風に髪を煽られる事なく其処へ立っている。
紫がかった髪、其れを綺麗に纏め上げる髪。
整えられた顔立ち、そう、勿論神無月 霊本人の映像だ。

プライベートで彼女と出会うのは今日が初めてだった。
彼女の服装は、冬でもないのに、真っ赤なロングコートを羽織っているだけ。
肩から膝まで覆う其れは彼女の容姿にはぴったりだった。
後で知るのだが、彼女の一番のお気に入りの服らしい。

「よう、早いじゃないか。遅れてくるんじゃないかと心配したが
余計な心配だったみたいだな。」

何やら御機嫌な様子なのだが、其れはこっちにとっても悪くはないのでヨシとする。
はは、と笑みをこぼしながら髪を掻き揚げる其の仕草は、
ぼんやりと薄暗いこの風景と、其れに溶け込んだ髪
そして其の全てを拒絶するかのような真っ赤なロングコート。
このアンバランスさが彼女の存在を濃くしているのが分かる。

出来る事なら写真にでも収めてしまいたい位完璧なまでに仕上がった彼女こと神無月 霊。
だが写真等に収めたところで繊細にも仕上げられた其れをありのまま保存する事は不可能だろう。
其の時だけにしか見る事の出来ないものだからこそ、価値が出てくるものなのだ。
写真に収めるとカタチとしては残る。だが其れだけで今のこの風景の価値は格段に下がるのだ。
今此処で、其の一瞬だけでしか見られないものだからこそ美しいと感じ、価値があると思える。


美しい死神─────。


此れが一番ピンと来るのではないか。
一見華麗な仕草ではあるのだが、其れだけで虜になってしまう男性も少なくは無いはず。
虜にした彼女に罪は無い。あるとすれば其の仕草で堕ちた男性に非があるのだろう。
ゆえに死神。

「そういえば、霊の私服姿見るの初めてだよね。其の赤いコート可愛いね。」

素直に私は彼女の服を褒めた。ただのロングコートなのだが
彼女が着こなすと其れはたちまち素敵なドレスへと変貌するのだ。

「へへ、そうか? 此れはさ、私の一番のお気に入りなんだ。
其れはそうと、誘ったのは別に何か企んでるってわけじゃないんだ。
自分でもどうしておまえを誘ったのかは分からんが、まぁただの気まぐれだろう。
少し距離はあるが、付いて来い。」

そういって霊は私に何を言わせる間も無く会話を断ち切ってそそくさと歩き始めた。
私はいわれるがままに彼女の後を追うようにしてついていくのだった。

あれからどれくらい歩いたのだろうか。良く分からない道を通り、良く道を覚えているもんだ、と関心させられる位複雑だった。
あれだけ人通りが目立つ風景も何処か淋しくなってきていた。
というのも先ほどとは違い、周りにあるのは廃ビルや工場ばかり。言うならば死んだ街、という所か。
先ほどまで吹いていた微風も今では感じることは出来ない。
周りに立ち並んだ廃ビルや工場は侵入してくるありとあらゆるものを拒絶するかのように聳えたっていた。

段々と辺りが暗くなる、其れはきっと其れに似合わない建造物のせいだと思う事にした。
死街へと入り込むと灯りという灯りは建造物に総て吸い尽くされてしまったかのように忽然と姿を消した。

風は亡く、光も亡くなった。

在るのは数歩先に存在する霊の真っ赤なロングコート。
と、彼女は一つの廃ビルの前で足を止めるとこちらに振り向いた。

「此処が何処だか分かるか?今は使われていない廃墟と呼ばれる場所だ。」

説明をしてくれるのはありがたいのだが、其れくらいの事はこの風景を見れば分かる事だ。
話しによると此処は昔工場地帯として栄えていた場所らしいのだが、
とある事をきっかけに其の繁栄は閉ざされ、廃墟となってしまったらしい。
今にも崩れ落ちてきそうな此れらは見ているだけでゾッとする悪寒を感じさせる。
正直、此処がどういう場所かという事よりも何故此処へ連れてきたのかを私は知りたかった。
だが其れは霊の言葉で知ることとなる。

「此処はさ、私が昔に男に犯された場所なんだよ。」

予想にもしなかった彼女の告白に私は何も言う事が出来なかった。
ただ間抜けな顔を彼女に晒すだけの情けない自分が其処に立っていた。

話しはこうだ。
彼女は小学生の頃に男子生徒数名に拉致られ、此処へと連れてこられたらしい。
幸い殴られはしなかったものの、体を酷く締め付けられ、身動きが取れなかったという。
後は男のやりたいように、己の欲望のままに彼女を道具として扱った、という事だそうだ。
最後に彼女は自分も余り覚えてなく、病院で世話になった看護婦から詳細を聞いたと付けたした。

其の顔には何も無かった。
私を見るわけでも無ければ廃墟を見つけるわけでもなく、
空を見上げているわけでもない。
かといって話しの中で男を恨んでるように見えると言えばそういうわけでもない。
だから、何も無いのだ。
今の彼女の心は完全に空白と化しているのだ。
まるで生きる目的を失った廃人のように、其れは其処へ立っている。
今にも廃墟と同化しそうな其れはぼんやりとただ立ち尽くすだけだった。
そんな彼女に私は何も言う事は出来ず、同じようにして立ち尽くし、
視線を彼女の方へと向けているだけだった。

音という音が無いこの空間は丸で別世界に居るように私を覆い尽くす。
夜になり、耳を澄ませば聞こえてくる虫の泣き声一つしない。
人の足音も無ければ車の騒音すらない。

そう、完全に離別されたこの空間はまさに死街、廃墟と呼ぶに相応しい場所だった。
こんな所で彼女は男の思うがままにされたというのだ。尋常じゃない。


悪夢。


そう、この一言で事が片付けられればどれだけ楽なことだったのだろうか。
だが現に私と霊は此処に居る。そして目の前の真っ赤な死神から告白を受けた。
其れは一層濃い色として鮮明に映し出された。

総ては事実なのだ。彼女の話す其れも、此処に聳えたつ廃墟も、
離別されたこの空間は虚のモノとして扱うべきなのだ。だが私と霊は此処に居る。
其れは真実として存在するもの。だから目の前に広がるこの虚の世界も現実のモノで存在してしまうのだ。

深く考え込んでしまうのはどうにもクセらしい。彼女は其れに気づいたようで、私の方へと視線を向ける。

暗く、何も映らない其処には、真っ赤に染められた血染めのドレスと、
青白く光を放つ二つの眼だけが灯りとなって存在する。

「おまえ、何時までそんなだらしない面をしてるんだ?
なんだ。驚いて何も言えないか? まぁそうだろうな。
正直自分でも驚いてるよ。どうしておまえにこんな場所へ案内し、
こんな事まで話してるのか、なんてな。」

霊は淡々とした口調で話す。其処には先ほどのような存在は無かった。
何時ものような、平凡な日常に溶け込んでいた霊が居た。

しかしこんな暗闇の中で人の顔が見えるのだろうか、霊には。
だとしたら一体どんな眼をしてるのだろうか・・・。

「霊が分からないなら私もどうしていいのか全然分からないよ。
いきなり誘われて、此処へ連れてこられ、何の前触れも無くいきなり告げられても。」

貶す感じだったのだろう。発言そのものは其れに近い。だが言ってる事とはうらはらに思ってる事とは違う。
何も前触れも無く起こった其れに対するものではないのだ。
どうして彼女がそんな目にあい、其れを私に告白したのかが気になっていた。
本人が分からないと言うのだから私には分かるわけもないのだが、
だが其れには何処か理由があるはずなんだ。其れに彼女が気づきさえすれば分かる事。

「おまえ、嘘つくの下手だからやめとけ。」

見透かされた、というよりも本当に嘘を付くのが下手なだけらしい。
彼女に人の心を視る力があるのではなく、思ってることが顔に出易いタイプなのだ。
何時だったか、興味本位で小学校の頃に流行った占いの結果を思い出す。


─あなたは本音を隠す事がなかなか出来ないタイプのようです。
嘘をついてもスグに見透かされてしまうので、素直に言うよう心がけましょう。─


確かこんな文面だったと思う。
この占いの結果が当たってるというのなら、
結構不器用な性格なんだな、と今更自分の性格を再認識してみたりした。

「はは、どうやら私は嘘を付くには向いてないらしいね。
此れじゃあ将来営業マンなんて職業は出来ないね。」

溜め息混じりに肩を竦めながら、
なんて事を冗談混じりに返答をしてみる。

「営業マンになりたいのか? おまえが逆に騙されるぞ。」

霊も私と同じく溜め息をついて呆れた表情を連想させてくれる。
暗闇なのではっきりとは分からないのだが、恐らくは今朝の事故の
話しのような感じでこちらを見て居るのだろう。
冗談なのか本気なのか、霊の事だから恐らくは本気なのだろう。
でも其れには私も同感する。きっと逆に騙されるだろう。
其れ以前にそんな仕事が勤まるとも到底思えないのだが・・・。

「まぁ、用件も済んだし、そろそろ帰るか。」

そういって霊は静かに歩き出した。私が其処に居ないと思っているかのように、真横をすーっと抜けて歩いて行く。

私は其れを暫し見続けて、こんな事を口走った。

「告白だけか、結局君は何を言いたかったんだい?」

霊には聞こえないように呟いたつもりだったのだが、此処は何の音の存在も拒絶する死街。
自分が漏らす小さな声も此処ではメガホンを使って話すようなものだった。

霊は立ち止まり、其のまま続けた。要するに、と言ってから暫し無言になり、



「おまえみたいな男は嫌いだって事だよ。」



そういってまた歩き出した。
私は何もいわず彼女の後を追うようについていく。

風の亡くなった廃墟は二人が居なくなることで元の姿を取り戻していった。





四月最終日、事故、突然の告白。
やはり昨日は私にとって厄日だったに違いないのだ。
なんて事を私はベッドの中で延々と繰り返していた。


螺旋。


脳裏に描かれた其れはまさに螺旋。
ぐるぐると周り続け、果ての無い場所を彷徨っている。
性的暴行を受けた後での後遺症とするのなら、今現在の彼女のあの性格には納得が行く。
だが其れで片付けてしまって良いのだろうか?肝心な事を聞き逃したのだが、其れら暴行を加えた男子生徒等は、
結局の所捕まったのかどうか、という事。あれだけの事を話しておきながらもニュースでは報道されていない。
いや、単にニュースを逃しただけという事もありえるのだが。真相は定かではない。

でも此れは一方的な加害者側として回るのだろう。
だが犯した男とて女なら誰でも良かったというわけでもあるまい。
恐らくは普通の服装で街を出歩くだけで目立つ其の容姿にあるのだろうが。
やはり死神という単語は適切だろう…。

世の中ではこうしている間にも人々は何かしらの事件に遭遇していく。
毎日を無事に過ごす自分の知らない所では当たり前のように其れは起きて行く。
自殺した。殺された。事故に巻き込まれた。奇跡の生還を果たした。宝くじが当たった。会社が倒産した。等など。
其のありとあらゆる事が今この何も無く進む時計の針が一秒ずつ刻まれる度。何処かで起きているのだ。
其れは私が住むこの日本という国だけではない。全世界をひっくるめて言えるのだ。
平凡に過ごす日本。だが其の一方では戦争の耐えない国があったり、日本ではありえない、餓死者等。
もしかしたら何処かの国では地震等の自然災害で復旧作業をしてる国だってあるかもしれない。
今朝の事故を含めて、今の在り方を少し見直すべきなのかもしれない。


厄日。


其れは私にとっては自分の今後、世の中の在り方を改めさせるべき事柄として、
教えてくれたのかも知れない。と何やら宗教じみた事を考えている。


カチカチカチカチ。


無造作にも響き渡る其れは時計が奏でる狂いの無い針の音。


カチカチカチカチ。


時刻はもうすぐ零時にさしかかる。
これで四月は終わり、五月へと日付が変わっていく。
時の流れは何が起きても狂いはしない。
例え世の中で何が起きていようとも、一秒たりとも遅れることは無いのだ。
世間で何が起きていても、其の狂わないリズムを延々と保ち続けるトキ。
其れにあわせて毎日同じ事を繰り返す人間。


平凡である事に罪は無い。


そうだ。何も悪くはない。人間として此れ以上の幸せは無いのだ。
代わり映えのしない毎日、刺激こそ無いものの其れは、平和だと取ってしまっても良いのだ。
幸せだと感じること、平和だと感じること、平凡だと感じること。
だが其れ等の事も毎日続いてしまえば、それは退屈と変わらないのだ。


退屈な日々に満足している。


寧ろ今の私は此れだろうか。
特別刺激を求めて居るわけでもなく、ただありのままを過ごすだけの日常。
其れに不満があるわけでもないし、誰かに意見する必要性も感じない。
そんな意味でも今日一日の出来事は『刺激』として認識するのだ。
此れが毎日のように続けば『当たり前』だと認識され、『刺激』とはどうあっても変換し切れないことなのだ。

だが生きて行く上で有る程度の刺激は必要なのだ。老人が何もせず過ごすとアルツハイマーになったりするように、
脳には穏やかな日々を認識させる事も必要なのだが、時としてレールから外れた刺激を与える事も必要なのだ。
このバランスを保つ事は非常に難しい事だと思う。でも普段から、例えば学校なんかに行っていれば、
何かしら普段とは違う何かが飛び込んできたりもしてくれる。其れは刺激だ、普段起きえない其れは刺激なのだ。
例えば今日の夕方から帰宅するまでにかけての霊との行動。学校にいっていなければ彼女と知り合うこともなかったし、
今回のような事も無かったのだ。

部屋には、あの廃墟のような静けさがあった。
何もかもが死んだように眠りについている。呼吸をしているのは私だけ。
其れだけで霊との行動を思い出してしまう。
赤いロングコートを身に纏い、一瞬の無駄も許されない其の仕草。
完璧なまでに仕上げられた其れは死街ですら受け入れてしまう。

…後数時間もすれば死と変貌した部屋も蘇生する。
そうすれば何時ものように私も蘇生し、何食わぬ顔で日常へと溶け込むのだ。

寝返りをうって、仰向けだった体を横に崩す。どうしても眠れないのだ。
当然と言えば当然。普段からどうしようもなく深く考え込んでしまう性格のせいで
こういう時に限って夜は眠れない。

「ふう。少し散歩でもしてみようかな。」

誰に言うわけでもなくこぼした其れは私の体を動かす原動力となっていた。
普段寝る時は寝る用の服、言わば寝巻きに着替えるのが普通だという認識がある。
勿論其れは個人の勝手な思考認識だ。私服で寝るのも居れば、
まぁ、滅多に居ないだろうが、制服で寝る人だっているのかもしれない。
だがこういった人達にとっては其れが普通だという認識を得る。
何を持ってして普通だというのかは本当は錯覚なのだ。
皆がこうしてるから此れが普通。其れはあくまで個人の認識の中での事。
だから世の中には何が普通か、という選択は存在しない。

私服に着替え、外はまだ寒いので革製の黒いジャンパーを羽織り、
毎日つけている腕時計を左手に嵌めて出かける事にした。

外は寒い。
部屋と同じように辺りは静まり返っていた。
無造作に吹き荒れる風だけが私の家出を迎え入れてくれるのだった。
其れは冷たい歓迎だ。私にとっては余計なものに過ぎない。
迎え入れられるのを分かった上での上着の着用だが、此処まで寒いとは思ってもみなかった。

光と言えばぽつぽつと薄暗い灯りを放つ外灯だけ。
真っ暗で光の無い所は魂を向き出しにされたかのような痛みを感じる。
其れ故に少しでも光がある方が、心理的にも安心するのだ。
だが今のように薄っすらとだけ付けられた灯りは其れだけで不気味さを感じさせるのだった。

行くアテ等は無いのだが、適当にぶらついてみる事にした。

昼間は多くの人で賑わっている繁華街にさしかかった。
此処は繁華街と呼ばれるだけあって、不特定多数の人間が毎日うごめいている。
蟻の巣を細長い棒で突付いた時に溢れ出てくる其れに似ている。
だが深夜ともなれば話しは別だ。
棒で突付こうが何をしようが人という人は現れない。
出てくるとすれば其れは・・・。

厭な妄想に駆られながら私は繁華街を後にする。
日付は変わり、五月の初日となった。

私は何を思ったのかもう一度あの死街へと歩いて行く事にする。
不思議な事にあれだけ不規則だと感じた道順をいとも簡単に、
覚えている…というよりは吸い寄せられているような感覚だった。
一度も迷う事無く其れは廃墟へと辿り着くことが出来たのだ。
此れが記憶力というのならば、私はとんでもない記憶力をかねそえているのだろう。


死街 廃墟。


此処には光という綺麗なモノは存在しない。
見て楽しめるモノだって何もありはしない。本当の廃墟。
不良の溜まり場にしてもナンセンス。肝試しにだって危なくて使えないだろう。
辺りの廃ビルと呼べるのかどうかも怪しい建造物は
木造なのか何なのかすら判断がつきにくい。
其れ程までに崩壊してしまった此れ等の街は人が住める条件は整っていない。
電気やガス、水道だって通るのかすら問題だ。
使われていないのだから、恐らくは公共物は使えないだろう。
ゆっくりと、霊と歩いた其れへと目指す道のりには、時折足音に混じって、
枝が折れる音等という不自然な音も耳へと伝わってくる。
飛び散った木の破片や、ガラス等を踏んでしまっているからだ。
視界が悪く、何も見えない此処でいちいち足元を確認する事だって出来はしない。
こんな事なら懐中電灯の一本でも持ってくれば良かった、と今更後悔しても遅い。
仕方なく、手探りで奥へと入って行く。

気が付けば体の寒さも忘れ、ちょっとした探検をしている子供のような感覚。
子供が探検するには少し危ない場所なのだが、其れでも此処へ来たのだから、中へと入ってみる事にした。

辺りは真っ暗だった。私の胸うつ鼓動と、リズム良く吐き出された白い息だけが、
私は生きてるのだと実感させるものになっていた。いい加減目が暗闇に慣れてきた。
と、油断したのか、地面に転がっていた何かを蹴飛ばしたような感覚を覚えた。

カランカラン。

そうして転がっていった何かは恐らく空き缶か何かの軽いものだろう。
歩いてるだけで簡単に転がっていったのが証拠だ。

空き缶…ならば此処には人がいたという事なのだろうか。
其れとも昔、栄えてた時のモノがまだ残っている、という事なのだろうか。
真相は定かではない。

どれくらいの時間、歩き続けたのだろうか。
左手に嵌められた時計に目を向けると、時刻は直、二時になろうとしていた。
暗闇に慣れたのか、次第に足元を確認出来る程度にはなった。
後、ほんの数メートル程度なのだが、辺りを見回して若干ではあるのだが、
どうなっているかを把握出来る程度にまで眼が慣れていた。
少し立ち止まり、辺りを見回す事にする。

本棚のようなモノがあるが、本やその他の人が扱うような物は一つとしてなかった。
あれを叩けばきっと無数の埃が舞うのだろう。
空気はかなり悪い。呼吸するたびに体に有害な毒素を吸っているような感じ。
特別真新しいものは見つける事が出来なかったので、更に奥へと入る事にした。

霊は此処で犯されたといっていた、だが其れはあくまで建物を指しただけで、
正確な場所は教えてもらっていない。
だが今更其れを知ってどうなるというわけでもないのだ。

侵入してくる総てを拒絶するかのように聳えたつ廃墟。
其れは中も同様として、総てを拒むように造られている。
目の前に並ぶ男達を否定するかのように・・・。

毎日決まった時間に睡眠を取り、決まった時間に起きるこのサイクルを今日は無視している。
其のせいか、今になって急激に眠気が襲ってくる。

結果として此処には何も無かった。
だが其れは此処へ来る前から知っていた事だった。
其れでも尚、もう一度此処へ訪れたかったのだろう。
考えれば其れは物好きの他にならない。
面白い所でもなければ美味しい物を食べられる場所ですらない。
死者がこの世と行き来する為の、魔界と下界を繋ぐ神聖なる場所のよう。

霊感が強ければ、空を見上げた時にちょっとした人魂を視る事は出来るかもしれない。
其れくらい死街と呼ぶに相応しい光景なのだ。

眠い体に鞭を打ちながら私は来た道を引き返すことにした。
此れも不思議な事に簡単に出口へと戻る事が出来た。
足元を確認する事ですら妖しかった其れも何なく通ることが出来。
気が付けば霊と私が立っていた廃墟の入り口へと来ていた。

正確には何かしらの力によって強制的に戻されたという方がしっくり来る。


深夜三時。


とっくに自分は夢の中に居る時間。
そんな中でも私は今ベッドの上で天井を見上げている。
空には限界が無い、だが、こうして人工的に造られた天井には限界があるのだ。
天井が低いと感じたら其の部屋は窮屈だと思うだろう。
狭い箱の中に閉じ込められた其れはまさに人工的な人間の小屋のようなものだ。
犬を飼うと犬小屋を造ったりするのだが、人間だって其れには変わらない。
ただ規模の違いだけだ。規模が違えど同じようなものなのだ。
知能を持ち、ありとあらゆる言動を可能にした生物の神なる存在。


人間。


不可能を可能にしていく現科学の力はまだまだ未知の可能性を秘めている。
勿論今の科学でも小さい国一つをボタン一つで跡形も無く消しさる事は造作も無い事だろう。
何千年、何億年とかけて新化を遂げた生物の最高潮が人間と呼ばれるホニュウルイだ。
自由に思考することが許され、自由に動き、記憶していく事が許された万物の奇跡とも言える存在。
だが其れらの力を得た人間ですら、人間自らが産み出したモノによって簡単に存在を否定される。
皮肉なものだ。

「さ、寝ようか、明日も学校があるんだ。」

誰に言うでもなく発せられた其れは自分を深い眠りへと誘う子守唄と化した。





考えている。
どうして私は彼、弓塚 直樹に対してあれだけの事を自白したのか。
理由は定かではない、話したところで何がどう変わるわけでもないのだ。
考えている。
どうして私は彼、弓塚 直樹に対してあれだけの事を自白したのか。
理由は定かではない、だが何処かに理由は存在するのだ。
理由も無しに行われる事程無駄に終わる事はない。
そもそも、理由の無い行動は存在しえないのだ。人は何かの理由やいい訳を元に行動を起こす動物だ。
だからきっとこの事を話したことも、其の相手が弓塚 直樹だったことにもきっと何らかの理由が存在するのだろう。


今はまだ解らない。


解らなくても良いのだろう。考えたところで生まれる理由は小さくて儚いと知っているからだ。
其れこそ指摘された時に脆く崩れ易い。きっと其処には大きく、
自分では理解のし難い理由が存在しているのだろう。理由をもって行動するのなんて、
死にぞこない、俗に言う吸血鬼やグールといったものですら持っているのだ。
思考することですらままならず存在すら認められていないモノですら持っている。

過去の記憶が殆ど無い。其れは私が異常だったからじゃない。
ただ単に目の前で起きた事件の被害者となり、記憶が一瞬にして奪われただけの事なのだ。
記憶が無いのは不便だ。誰かに何かを言われても思い出せない。
思いだそうとしても忘れてるのでなく、無くなっているのだから、普通に考えれば一生思い出すことは出来ないのだ。
再生されたビデオテープのあちらこちらで見られる破壊された映像のように。

時刻は四時になろうとしている。
淡々と刻まれる時計の針の音が嘆かわしい。
今日は特別に静止された空間を好む。

時計の裏にはめ込まれた一本の単三電池を取り外し停止させる。
そうする事で私はやっと眠りにつく事が出来た。