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生死考察






一九九八年 五月。


昨日の出来事からまだ二十四時間も経っていない。
私こと弓塚 直樹は学校があるので体を起こす事にする。
時刻はまだ六時半になっていなかった。

昨日、規則正しく行っていたサイクルを崩した事で、体の調子は別物のように、
重く、自由に動かせないでいた。ただ眠いのだ。
睡眠時間にして凡そ三時間程度だろうか。
たったの三時間の睡眠で目を覚まし、体が本能的に動いてしまうのは、
普段から行われている規則正しいサイクルのおかげなのだろう。

体を起こすと其処には何時もと同じ風景があった。誰の部屋でもない、自分の部屋があった。
一人で住むには十分過ぎる、といった部屋の造り。凡そ一人で暮らすには必要なモノは揃っているだろう。
寝床もある、情報収集するのに最適なパソコンもある。
電話は部屋には無いのだが、まぁ携帯電話が普及している今では、
携帯電話を持ってしまえば其れは解決するのだろう。
家からかけてくる人にとってはとても迷惑な事この上無い事だが…。

そんなくだらない事を考えている間に時刻は六時半を回ってしまっていた。

私はまだ言う事の利かない体を無理遣りにベッドから起こし、洗面所へと向かう。





朝の陽射しが鬱陶しい。


そんな理由で私こと、神無月 霊は目を覚ます事になった。
こんな事ならカーテンでも閉めて陽射しが入らないようにして寝るべきだった、と少し後悔をする。
後悔しても遅い、目覚ましでもなければ誰かに起こされたわけでもない。
自然という優しい陽射しによって起こされた。普段なら其れでも構わないだろう。
だが今日は特別としてもう少し睡眠を必要としていたのだ。
其れもそのはず、昨日は色々と頭を悩まされて疲れていたからだ。
毎日の同じ睡眠でも先日と全く同じ体の調子を保てると思えばそういうわけではない。
其の先日にどういった事を行って、体にどれだけの負担をかけたかで翌日の調子は決まってしまうものだ。
其れに睡眠といっても熟睡を出来たか否かでもやはり体調は微妙にと変化をきたしてしまう。

この家に住んでいるのは私だけだ。
暖かい家族が居るわけでもなければ、同居人だって居ない。
別段付き合ってる人間と同棲してるわけでもない。一人なのだ。

其れは孤独とは違う一人だ。孤独を感じるのは仮にも此処に誰かが住んでいて、
突然として姿を消した時にだけ感じることが出来る。其れが孤独。
孤独とは一人では感じられないモノだ。自分に接する親しい人間がいて初めて感じることが出来るのだ。

まだ言う事の利かない体を寝かせたまま、私は首だけを動かし、部屋を一望する事にする。
部屋は一色。壁から天井まで真っ白だ。かといって此処は病室ではない。
ちゃんとした私の『家』なのだ。其れが例え誰から与えられたかも分からない家だとしても、だ。
気づけば私は此処に住んでいた。それこそ『当たり前』のように住んでいた。
この部屋にはベッドがある。丁度今私が寝転んでいる其れがベッドだ。
後は・・・。何時、誰に買って貰ったもの、もしかしたら誰かから譲り受けたか、
其れも分からない学習机があった。私はこの机を使う事は殆どなかった。
学習机というのはあくまで勉強をするスペースを別途設ける為に造られたものだ。
だから学習机の使い道は呼び名にもあるように勉強をする為の机なのだ。
だが私は学校には何の意味もなく、通う事ですら時間の無駄だと思えてしまう。
無論学校に登校したところで勉強をするわけでもない。じゃあ私は何の為に学校へ行ってるいるのか。
其れは以前、自分の席の隣に座る男にだけ言った事がある。


他にする事がないから。


そう、理由とは単純なものだった。別段する事がないのだ。部屋には何も無い、人が住むのには少々不向きだろう。
何処からか贈られて来る御金で私は生活をしている。勿論学校の資金だって何処からか毎月綺麗に支払われている。
恐らくは家族と呼べる類のモノなのだろう。部分的障害に陥った私には其の家族が何処に住んでいて、
何人居るかすら思い出せないのだ。


私は思っていた。私は初めから独りなのだと。
私は思っている。私は初めから一人なのだと。


家族が居る。調べて貰えば其れは判明する事なのだろう。
要望があれば名前や家だって調べて貰えるかもしれない。
だから逢おうと思えば逢えるのだ。でも其の必要性は殆ど感じない。
なにせ家族と過ごした時の記憶が殆どないのだから。
戸籍上は家族として認められていても、私自身に其の自覚がなければ、
やはりそれはどうしても家族という認識ではなく、他人という認識でしか持てない。
あんな事が起きなければ私の人生はもっと普通で、面白みがあったのだろうか・・・。
弓塚や他の学生等のように、当たり前のように母親に愛され、
当たり前のように家へ帰り、家族が待っていたり、当たり前のように喧嘩して、
当たり前のように過ごしていたのかもしれない。

嫉妬するわけではない。かといって後悔しているわけでもない。
寧ろ何処にも後悔する要素は無い。あれは事故なのだから。
私に非は無い。あるのは私の人生を変えてしまったあいつらにある。
でも今は此れでも良いと思っている。開き直ってる、と言われれば其れまでだろう。
どうしても思い出せない、実感が持てない。だから今は此れでも良いと思えるのだ。
というより、そう思わざるをえないのだ。

人が物事について諦めてしまうことはとても容易く、楽なことだ。
其の先に何が待っているかは分からない。だが、一番の逃げ道だ。
たとえ其れが其の時だけの、一時しのぎのものだとしても人は逃げ道を用意するものだ。
其れは比較的安全に自分の身を守る行為だ。本当は自らを更に地獄へと導くだけだというのに、
目の前の快楽に惑わされてしまうのが人間という生物なのだ。

例えば自殺なんかもそうだろうか。
自殺、このたった二文字の此れは聞くだけで響きは良くない。
言葉そのものに呪いでもかけられたかのような悪寒を感じてしまう。
自殺、其れは自らが諦めた末の最終手段だと思う。
死ぬ事は簡単なのだ。命を絶つまでの勇気は別として、
死ぬ事は簡単なのだ。そう、何時死ぬかも分からない状況を、ずっと生き続ける事よりも遥かに。
「自殺とは弱い人間がする事だ。」こんな言葉を聞いた事がある。
話しの流れからすればこの台詞は的を得ていると言える。
自殺だって理由も無しに行われる安易な行為ではない。
其れを踏まえた上で、どうしようもなく、自分ではもう後戻りが出来ない、
そう思って最終的に行きつくのがこの自殺という自虐行為だ。


人は何故自殺を選ぶのか───。


生きる事に負けたのだ。
生きる事に自らが放棄した結果なのだ。
自殺とは其れだけで「私は生きる事に負けました。」と世間に醜態を晒してしまうようなもの。
其れは格好良い事でもなければ逆に格好悪い事でもない。人が死ぬには必ず何処かに理由が存在する。
其れは世の中総ての断りに然り。同じ死ぬにしても他殺等の場合はこの理由は当てはまらない。
殺す側には理由がきちんと存在する、がしかし、殺された側には理由が存在しえないのだ。
「あいつが〜から。」殺した理由に挙げられるケースでもっとも多いのはこの類。
例を挙げるのなら、例えば『アイツが俺の人生を狂わせたから許せなかった!』とか。
でも此れは殺した側での理由にしかならないのだ。かといって人を殺めて良いという理由にもならない。
この例で言うのなら、狂わせたのは確かに殺された側の責任だともいえなくはない。でも其れは殺した側の勝手なこじ付けでしかない。
関わらなければ良かったのだ。自らが勇気を持って切り離してしまえば此処に至る事は恐らくなかっただろう。
自殺にも言える事なのだが、他殺も同じくして自分の逃げ道を作ると同時に自分を地獄へと導く行為。


人は何故逃げ道を作るのか───。


其れはやはり弱いからだろう。
この世に完璧な自信を持ち、世の中に挑める人間などそうは居ない。
其の完璧な自信を持ってる極僅かな人間にすら、必ず逃げ道は用意されているのだ。
だからこそ持ちいる事が出来る『完璧』という名の肩書き。
完全な壁、と書いた其れは文字通り誰にも破壊されることのない完全な壁だ。
だからこそ人間は其れを盾に自信を持ち、余裕を持って接する事が出来ている。
だからこれに皹が入ったり、壊されたりすると人間はパニックに陥ってしまう。
其のなれの果てが自殺だったり、他殺だったりするのだ。あくまでこれは最悪の結末。
例えば其れが会社に勤めていれば、辞める事であったり。
もっと身近なものでいえば、怖いから言いなりになる、という類だろうか。
反発する事に勇気がいる。反発すれば嫌われ、苛められる。学生が抱える悩みの中の一つだろう。
でも此れは現社会においての大人にも言える事だ。上司には逆らえない、とか。最悪の状況は簡単に予想がついてしまう。
なら其の状況にならないようにどういう態度をとっていけばいいのか、其れが上司には逆らわない事であったり、
喧嘩の強い人間に逆らわない事であったり。取り方一つではこれは『完璧』と言える。
反発さえしなければ後は何事もなく接する事が出来る。本人がどういう感情を抱いてるかは別として。
此処で例えば完璧だと思わせる行動をとっていたにも関わらず暴力の対象が自分にきたり、
社会では良くあるリストラ等された場合、完璧だった壁は壊され、精神維持が出来なくなる。

何処かで知らぬ間に作りだされた完璧。其れは自分を守る術でもあれば、最悪の逃げ道にもなってしまう。
其れは人間にとって自分自身の最後の要でもあるのだ。完をオワリと読むように。


時刻は三時をさしている。
昨日寝る前に停止させた時刻。





一九九八 五月。


すっかり桜は散ってしまい、街は本来の在るべき姿へとかえる。
其れは昼間人で栄える繁華街が、夜になると消えてしまう其れに似ていた。
登校途中に見かけていた学生にも、先月のような初々しさは感じられなくなってしまっていた。
別段其れが哀しいわけでも淋しいわけでもないのだが、人とは時の流れとともに、
少しずつ変化をしていくものなのだ、と実感させられてしまうだけだ。
ランドセルを背負った無邪気な子供も、時の流れと共に身も心も成長し、
何れ成人と呼ばれるモノになり、社会へと放り出されて行く。
今は考えもしないだろう。自分が会社で勤めて働いて行くという事なんて。

くだらない事を考えながら私こと、弓塚 直樹は何時もの通学路を歩いて登校している。
自転車を持ってはいるのだが、登校距離が近いというのもあり、学校では全面的に、
自転車での登校は禁じられている。だから毎日数分の距離を歩いているのだ。
ちょっとした運動にもなって健康的には良い事だ。
朝、まだ完全には働かない脳神経等を呼び覚ますには何のリスクもかからない。
いってしまえばお得なのだ。ただ行かなくてはならない学校へ歩くだけで、
運動にもなり、健康的でもあり、脳を呼び覚ますモノとなるのだから。

歩いて数分の距離はあっという間に終わってしまう。気が付けば学校の門の前に立っている。
当初、大きいと感じたこの正門。今では何の気にもならず普通に通過し、
自分の教室へと足を運んでいる。其処には何の躊躇いはない。

教室に着くと其処には何時もの風景があった。
好き勝手に席を移動して友達とべらべらと話す人。
参考書を開いて朝から勉強に育む人。
朝が弱いのか、教室へ着くや否や眠りに陥ってしまう人。
多種多彩で何時もの風景ながらもみていて飽きないのだ。

自分の席へと移動する其の間に、見慣れた人物が座っている。
美しくも仕上げられた紫がかった髪を靡かせる其れは、神無月 霊。

「おはよう、霊。」

私は昨日の事などさも気にしていないかのように挨拶をする。

「ああ、おはよう弓塚。今日も昨日のように騒がしかったら殴ってるところだったよ。」

等と笑いながら話す其れは本気とも取れれば冗談とも取れる、何とも曖昧な言葉で、
私はどうリアクションしていいのか分からず一緒になって笑うことにした。

入学式から凡そ一ヶ月が過ぎただろうか。
かというのに其の生活に変化がないのは私と霊くらいなものだろうか。
ちょっとした変化はあっただろう。だが他人から見れば何も変わらない人間そのものだ。

変わった事を望むわけではない。寧ろ今のこの代わり映えしないものこそが望み。
良いのだ。何も変わらないままで、今此れを退屈に過ごすことが一番の幸せなのだから。


幸せとは何か───。


其れは人の数以上に用意されたモノだ。
私にとっての幸せは今この退屈な日常を過ごすことにある。
だからこの先成長し、何かをきっかけに其れが変わるかは分からない。
一人の人間が持つ『幸せ』の数は其れこそ数え切れたものではない。
此れから先増える事もあれば減る事もある。

教室の扉の開く音がする。紅蓮 明人先生が教室へと姿を現す。
何時ものように教卓へ行くと、生徒簿を開いて出席確認をする。
私は其れに興味は無かったので、霊以外の人間の名前は知らない。
自分の名前を呼ばれるまではぼーっとしながら何時ものように、
こういったくだらない事を延々と考えるのだ。

はい、と返事してる中で一際目立つ返事をする人物が居た。
普段何気なしに思考している私が丁度この時一時的に行き詰まり、思考が一瞬停止していたのだ。


橘 健次郎。


髪は好青年を思わせるくらいばっさりと切り落とされており、清々しい風景を連想させる。
切り落とされ、短くなった髪を、恐らくワックスかジェル等で固めているのだろう。
真上にと突きだされた髪はイワトビペンギンに似ていた。
折角の好青年を思わせる顔立ちをしているというのに、金色に染められた其れは、
一瞬にして評価を悪くしてしっていた。

彼の席は教室に並べられた机の丁度真ん中に位置する所にある。私の席は教室の奥、窓際の一番後ろの席。
だから此処から彼の姿を見ようと思うのなら、其れまでに座っている生徒の間をくぐって見なければ、
直視することは不可能なのだ。透視能力でもあればこんな事をせずに見れるのだろう。とありもしない事を考えていた。

「莫迦か、アイツは。」

口を開いたのは隣に座っている神無月 霊のものだった。
聞きなれた其れはいちいち確認するまでもなく本人のものだと分かる。
私は何時ものように代わり映えのしない返事をしてみる事にする。

「何が莫迦なの?」

其の問いに彼女は呆れたように私に言う。

「おまえ、あの容姿とあの態度見てそうは思わないのか?
校正破って髪を立てたり、染めたり、挙句返事までがバカバカしい。
あれを莫迦と言わず何だと言うのか。」

そういって何かを思い出したように続けた。

「そういえばアイツ、この間学校から帰る途中に私に声かけてきた奴だな。
容姿もあの莫迦さも一致するから恐らく本人である事に違いはないだろう。
全く、世の中おまえのような何の特徴もない男もいれば、
あれほどまでに莫迦を晒す人間もいるなんて、変な感じだな。」

嫌いなのか、橘 健次郎という男を散々莫迦にした挙句、
最後には私の事まで莫迦にしてくれる霊。朝からなかなかと機嫌が悪い様子なのだが、
其れ以前にもこの男は毎日あんな調子なのではないだろうか?
普段から対してきいていないこの出席確認なので、私は何時も気にならなかったのだが、
霊は霊で実は割りときいているのだろう。だとすれば毎日のようにこの時間から機嫌を悪くしてるのではないか?
今更になってこんな思考をするとは、本当に普段話しを聞いてないんだな、と、強く実感させられる事となった。

バカバカ、と言われっぱなしでは彼も可哀相なので一応フォローをしてあげる事にする。

「あれは莫迦というか寧ろ個性的っていうんじゃないかな?
私のように何の特徴もないような人間よりは遥かに面白い人のように見えるけど。」

自分の事をつけたして自分なりに彼をフォローしたつもりだ。
世の中個性的な人間とは忌み嫌われる立場にある。
其れは何故か、日本人というのは皆と異色するモノを嫌う光景にある。
其の一つが苛めとかになる。其れを個性的だ、と認める人間は恐らく極僅かなのだろう。
人間の集団意識というのは凄いモノがあるな、と実感させられてしまう。

霊は完全に呆れてしまったのか、先ほどより一層深い溜め息をつき、
眉を此れ以上変わらないという位変形させて言う。

「おまえも実は莫迦だったのか。あんな知れた個性の人間、世の中じゃ何の役にも立たんぞ。
あれはな、個性的って言うのとはちょっと違うと思うぞ。
人から見る目が変わるという点では個性的と何ら変わらない印象を持つが、
其れはあくまで人を惹き付けるモノが備わっての個性なんだ。
だからな、あんな世間に『俺は莫迦ですよー。』と恥ずかしげもなく言ってるあれは、
個性的でも何でもなくて、ただの莫迦なんだ、魅力の欠片も感じないだろう?
個性的な人間と言うのは其れだけで何処かしらに魅力を感じるものなんだ。
だから人は其れを莫迦と言わず、忌み嫌わず尊敬を評して受け入れるんだ。
だがあれの場合は何処にいっても受け入れられないだろう?
唯一、受け入れられるとするならば、あれと同じような莫迦な人間だけだろうさ。」

呆れたように言った其れは何処か熱弁してるようにも捉えられた。
毎度思う事なのだが、霊の言う事には本当に納得させられるのだ。
同じ中学生でありながら、彼女の言うことには其れ以上の年齢を思わせるものがある。
確かに個性的、といわれる人間とはそうだ。何処か人と違う魅力を持ちえているからこそ個性的と呼ばれ、
評価されるのだ。考えてもみれば分かる事だが、あれには確かに魅力というものは感じない。
世の中には個性的だと言われる部類の人間がメディアを通して有名になったケースは、
特別少ないものではない。そして其れを莫迦だと捉えず、尊敬の意味を込めて、
受け入れられている。だからこそメディアも其れを持ち上げるのだ。

個性的とは人から外れた何かを持ってる人間に対して使われる言葉だ。
其処には何も悪質な意味が込められているわけでもない。
普通の人間ではすぐに朽ち果ててしまうが、持ち前の個性がある人というのは、
長い年月、人々から愛されていく。そして学校という似たりよったりな人間が沢山集まる場所で、
個性的な人間とは、其れだけ多くの人物に対して印象を濃く植えつけていくのだ。
異なった性質を持つ人物はそう多く存在するわけではない。だから其れは世間的にも重宝される存在となってしまう。
今の世の中に足りないものの一つとして挙げられるのが、そう、「個性」だ。
私の隣に座る神無月 霊。彼女も所謂個性的な性質を持った数少ない人物に違いはないだろう。
でも其れは持って生まれた性質とは違うもの。過去に起きた出来事以来、
著しいまでに変化を遂げた末、出来上がってしまった個性だ。

記憶の大半が失われてしまうような出来事に出くわした彼女は、
其の時に自分の性格をがらりと変えてしまう結果となった。だが其れは不幸中の幸いだ。
下手をすれば、ショックで社会に戻る事が出来なくなってしまったり、
恐怖の余り言語を話すことですらままならない人も多く存在する。
自分の快楽の為に行った其れは、人一人の人生をも軽く変えてしまうのだ。


そんなつもりはなかった。


誰もそんな風にさせようとして行ったのではないのだ。
そんなつもりがなかった、というのはでも言いえて妙だ。
言うならば、後先考えずに突っ走りました、という方が的を射ている。
そんなつもりがなかったのではなく、そんな事ですら考えつかなかったのだ。
此れは一見同じように見えるのだが、実は異なるものだ。
そんなつもりがなかった、というのはそんな状況を考えつかなかった事だ。
まさかこんな事になるとは思ってもみなかった、という表現。
だから考えてなかっただけで、もっと別の事を考えていたのだ。
勿論其れを考える事も出来たのだが、其れよりも別の事の方が、
其の人物にとっては濃く映し出されていたというだけの話。

だがこの場合は少し違う。後先、目先の事だけを考えて行動をとっていた。
だからまさかこんな事になるとは思ってもみなかった、というよりも、
其れを行うことで一体どういう事になるのか、という事の結果を、
何一つとして考えていなかった、という事になる。
共通点としてはどっちの例でも起きてしまった結果を考えてはいない、という事だ。
だが前者と後者の決定的な違いは、何かしら結果を想定していたか否か。

例えば、殺すつもりじゃなかった。という此れ。
人間だれしも殺すつもりなんてないのだ。例外を除いて、だが。
でも其れは予想に出来る事ではないだろうか。
例えばいざこざで揉め事になり、喧嘩に発展した場合、
人はどちらかが怪我をする、最悪の場合どちらかが死んでしまうという結果は、
考えつく事なのだ。其れはよくサスペンス劇場なんかを見ていれば安易に想像がつく。
取っ組み合いになって気が付くと近くにあった鈍器等で頭部を殴り、
我に返った時、目の前には先ほどまで取っ組みあいをしていた人物が、
赤い血を流し横たわって動かなくなっている、というシチュエーションだ。

確かに其の時は考えつかないことなのだが、日常生活において思う事ではあるのだ。
だが前者の場合はどうだろう。女一人をそうやって犯す事で、
その後の女の人生がどう変わるのかは想像もつかない。
決定的な違いというのは、其処に善悪の意識が存在するか否かなのだ。
其れが犯罪になると知って行動を移すのと、犯罪になると知っていたが、
犯罪を犯すつもりがなくてとっさにやってしまった行動・・・。
性的暴行、と言えば誰でも犯罪だという事くらい分かるだろう。
分からない、じゃ流石に世の中通らないと思うが・・・。

霊のこの男っぽい口調というのは恐らくは、過去に起きた、
この犯罪だと知っての行為を行った男子等のせいなのだろう。
急激な出来事は自身を様々なモノへと偽造してしまうのだ。
大事な友人を苛められてカッとなって逆上するのもその一つだ。
一時的とは言え、少しでも本来の自分とはありえないものを引き出してしまうのは、
偽造、だといえなくもないだろう。

霊の場合、一時的ではなく、完璧なまでに偽造された其れだ。
総て憶測でしかないが、きっと彼女も小さい頃は、とても可愛らしい女の子だったのだろう。
可愛らしい、というのは口調も含めての事だ。
此れを憶測するモノのとして挙げられるのが彼女の一人称、そして、服装だ。
口調こそ男っぽい、というより攻撃的ぽいのだが、かくして一人称は『私』。
つけくわえて服装はちゃんと女性の格好をしているのだ。
制服だって勿論セーラー服と呼ばれるモノを着用している。
間違っても口調がこうだからといって私のように男性用の真っ黒い詰入りの制服ではない。

「おい、おまえ、指名されてるぞ。」

聞きなれた霊の声に私は我に返る。辺りを見回してみると、
生徒一同が私の方へと視線を向けている。先生は、というと目を光らせている。
どうやら授業の間に私は問題を解け、と指名されたらしい。
そして其れに気づかない私に気づいて霊は声をかけた、という所だろう。

しかし、今何の授業をして、何の問題を解かなければならないのか分からない。
困っていると前の席から小声で、

「国語の二十三ページ。」

そういって教科書を私の方に向け、開いて指をさし、此処を読むんだよ、と親切にも教えてくれた。
特別目立った髪型をしているわけでもない。何処にでもいそうなショートカットだ。
そして制服にあわせられたかのような綺麗な黒髪。毎日手入れを怠っていないのだろう。
髪は風に揺られてさらさらと流れている。パーツの一つ一つを丁寧に組み合わされた其の顔立ちは、
綺麗に仕上げられた黒髪に良く似合い、とても可愛い顔をしている。無論、女性だ。

慌てて私は机から分厚い国語の教科書を開き、小説を読んでいるかのような活字を読むのだった。





「ありがとう。」

そう一言、先ほど内容を教えてくれた女性に言う。
すると先ほどの女子生徒は、にっこりと笑い、

「いいえ、どう致しまして。」

先ほどの可愛らしい姿とは一遍し、とても凛々しい態度になっている。
彼女の名前は倉田 岬と書くのだそうだ。
読み方は簡単でくらた みさき。

学校生活において、霊以外の人と会話を交えたのは初めての事だった。
私は霊と話すわけでもなく、この倉田 岬と話しをしていた。

彼女の小学校は私と同じ小学校だったらしい。
でも私とはクラスが違い、彼女も私の存在は愚か、名前すら知らなかったという。
だから同じ小学校に居ながらも、今日が初対面という事になるのだ。
彼女のユメは、美容師になる事だと言う。
初めそんなユメはもっていなかったのだが、とある男子生徒と交際中、
其の男子生徒は私と同じで、何も特徴があったわけでもなければ、
何処にでもいそうな、いわば普通の学生だったらしいのだが、
彼女に対しても、誰に対してもとても優しかったという。
きっかけは此処からだ。其の交際相手の男子は、考えていた。
彼女と付き合っていく上で自分の容姿はつりあわないのだと。
そして彼は思い切って髪形を変えたのだそうだ。
すると今までとは違う別人を見ているかのような印象を受けたという。
それからの彼というのは付き合い始めた頃とは違い、自信を持ったようで、
話し一つにしても弾むようになり、とても堂々とし、格好良く見えたのだという。
無論、性格は自分が惚れこんだ其の性格とは何ら違いはなかったという事も。

其れから彼女は美容師になろうと決意をしたらしい。
人の性格、人生をも髪型一つで変えてしまえるこの美容師という職業。
自分が愛する人をこれほどまでに活き活きとさせてくれた職業。
そんな職業に惹かれるまでにそう時間はかからなかったというのだ。

彼は彼でユメを持っていたという。世界を旅して周り写真を撮って世界を見て周りたいというユメを。
実家が北海道、という事で今は進学を変え、実家に戻り、別の進学校で勉強中という事だそうだ。
交際は今でも続いてるという。小学校低学年、話しによると三年生の頃からの付き合いだという。
出会いについては又別の機会で教えてあげる、と今はお預けのようだ。



ユメ───。



其れは誰しもが持ちえるモノではない。何かをキッカケに其れは忽然と目の前に現れる奇跡という名の類。
其れに向かって人生を変え、生きて行く目的を手に入れる。其処には多くの苦労と苦難が存在する。
ゆえに、実現した時に大きなナニカを手に入れるのだ。どんなものにしろ、ユメを持った人間というのは其れだけで、
見るモノにとって『生』を実感させてくれるのだ。

生きている、そして其れをユメという目的へと注いで行く。

其れは立派な事だ。
生きている目的、其の一つとして自分が手に入れたいユメに向かって歩む事。
人が生きていく意味。
話しの中で、其の一つを知る事となった、五月の初日。

ユメを持たない人間はユメを持った人間には到底生きるという事に関しては、太刀打ち出来ないのだ。
ユメを持って将来を見定めた人間の話す事は、ユメを持たず、
ただだらだらと日常を生活する人間にとっては、
其れは此れ以上無いまでの痛みとして胸へと響き、刻まれて行くのだった。





一九九八 七月


時の流れとは早いものである。其れは例えば目の前に、
自分がやらなければならない課題が山ほど用意されているとする。
すると人は一日、二十四時間ある中で睡眠、課題、等をやりくりするのだ。

其処には何の目的もなく行われるものもあれば、目的を持ち、
そのために精神を注ぐ、という事もある。

私こと弓塚 直樹は前者の典型であるのは言うまでもない。
国語の授業をきっかけに話しをするようになった倉田 岬。
彼女は私とは違い、ユメを持っているし、交際相手も居る。
きっと私よりも充実した毎日を送っているのだと思う。


ユメを追う。


其れは決して安易な事ではない。
ユメを持つ事は簡単なのだ。どんなものにしてもきっかけさえ、
見つかればユメを持つ事は簡単なのだ。
だが、其れをずっと追い続けるとなると話しは別。
何事も継続させる事が一番難しいのだ。
其れに終わりが来る訳じゃないし、幾ら頑張っても、
自分が諦めてしまうと其の時点で『追い続ける』事は出来なくなってしまう。

例えば其れが『生きる』事であったりとか。理由さえあれば人は死ねる。
死ぬ事は簡単なのだ。死ぬ勇気があるか否かは別として。
だが何の目的も無く人は生き続けることが出来るだろうか。答えはイエスだ。
何故ならば、物事の理には必ず理由が存在する。だから、人が何を持ってしてこの世に性を受けたのか、
性を受けた其の時から、人は何らかの理由によって生かされていると捉えるのが正しい。
理由もなく存在するのは其れでこそ無駄だ。理由の無いモノは意味がないのだ。
物事には理由が存在し、だからこそ意味が付けられるのである。

私は思う。
死ぬ事に勇気が果たして必要なのかどうか。
死んでしまえば人はおわってしまう。
其れこそ蝋燭にともされた淡い灯火が消えてしまうかのようにして。
はてまた、線香花火が落ちてしまうかのようにして。


永遠などありえない。


そう、この世に存在する全ての事に対し、永遠は存在しないのだ。
だから人は生き続け、其の行きつく最期の場所が『死』。
同時に其れは新たな始まりの場所だという事も事実。
人は生まれ、やがて死という形で無に還る。
其処には何の違和感もなく、現代を生きる人間にとって、
其れは『当たり前』という、一般論として認識させられている。
だが考えても見れば変だとは思わないだろうか。
人が生まれ、生きていく上で、死んでしまえば全てが終わる。
世の中に対してではなく、自分自身において終わりがくるのだ。
そして生きていた間に経験し、蓄えてきた知識など、
そうしたモノは全て浄化され白紙へと戻されてしまう。
そして魂という人の在るべき姿へと変えた其れは、
輪廻転生という形で再びゼロから人間をやりなおすのだ。
其処に何の意味があるのかは分からない。

死後の世界は誰にも解りはしない。解り得ない。
何故ならば死んでしまうとその後の事は、どうあっても
誰かに伝える事は出来ない。其の証拠に、現代の死後の世界とは様々な説があるのがそうだろう。

永遠。万代不易。永劫。

此れらにおいての共通点とは「終わりが存在しない」事だ。
『永遠』…いつまでも果てしなく続き、時間を超えて存在する事。
『万代不易』…永遠に変わらない事。
『永劫』…限りなく長い年月。

理屈では分かるのだ。きっと其処ら中に存在する、永遠。
だが其れを深く追求すると全ては永遠に存在しきれないモノなのだ。
ならば人は何を持って永遠と定めてしまうのか。
其れは自らが生きている間に限り、ずっと続けられている事を指すのだ。
だとすれば万代不易が解り易いだろう。永遠に変わらない、
即ち自分が生まれてから死ぬまで見続けていられるモノで変わらず存在する事を永遠と定めるのだ。
例えば其れが人類の存在。永劫で言われる年月。
自分が生まれ、死ぬまでの間の地球から見ればほんの僅かなこの時間の中で、
私等人間というのは勝手に永遠として定義をつけてしまうモノも存在する。
例えば愛、永遠の愛と言われる此れ。
愛するという事においては変わらないのかもしれないが、
何時何がおきて其の人に対する愛が変わるかは想像が出来ない。
其れから結婚し、子供を産み、家庭をもち、一家の大黒柱として生活を送る。
人を愛したまま、死んでしまえば、其れは永遠に愛する、と言えるのだろう。





七月と言えば夏。
夏は一層色を染めて世界を夏へと塗り替えて行く。
熱を帯びた地球に、其れに似合った蝉の鳴き声が夏を連想させる。


ミーンミーンミーン。


私は朝から休む事を知らない蝉の声によって目を覚ます事になる。
今日は休日。カレンダーで言うなら赤い文字でかかれた数字。
一週間に一度だけ訪れるこの休日。
学生の多くが其の日曜日に憧れて今か今かと学校を過ごしている。

そういえば、今日は倉田 岬と神無月 霊と逢う約束をしていた。
其れは休日になる前の土曜日の事。

何時ものように学校の過程を終え、今まさに鞄を持ち、家へ帰ろうとしていた時だ。
ふいに自分の前の席の方で名前を呼ぶ声がした。

「弓塚くん、弓塚くん。」

間を入れる事なく呼ばれた其れは突然の事に声も出ず振り返るだけの動作を取る。
其処には見慣れた顔がある。夏をしのぐかのように仕上げられたショートカット。
そして綺麗に整われた顔立ちに、其れに合わせるかのように覆われた髪。
間違いなく其れは倉田 岬のモノだった。

「明日の日曜日、暇?」

女性から暇?と聞かれるのは今回で二度目となる。
一度目は隣に座る神無月 霊からによるもの。
そして今回はこの倉田 岬からによるものだった。
休日といっても単に学校がない、というだけで、
帰宅後にする事は何ら変わりはないのだ。
唯一変化があるとするのなら、無理遣りに朝目を覚まさなくても良いという事だろうか。

特別用事があったりするわけでもないので此処は暇だとだけ答えておく。

「じゃあさ、明日、私と遊ばない?」

最初の頃とは違い、口調もなれたのか、何処か砕けたようになっている。
だが此れが本来の倉田 岬という人物そのものなのだろう。
大抵初対面の相手やなれない相手に対しては警戒心を持ったり、
なかなか心を開かなかったりでどうしても本来とは違う雰囲気を相手へと見せつけ、
植え付けさせてしまうものだ。だが其れは故意的なものではなく、
人間の本能としての行動によるもので、其処に罪の意識は存在しない。

こうして突然に誘われたことは今回で二度目になる。
勿論この時も霊の時と同じで、オッケーを出す。

「いいよ。」

短く返した其れは倉田 岬の耳へと正確に伝わっていた。
やったー、という表現がぴったりの仕草をすると倉田 岬は待ち合わせの時間と場所を、
指定するのだ。だがこの指定は霊とは違い一方的なものではなかった。

「んーっと、じゃあ、明日の一時、学校の正門前、ってのはどうかな? 都合悪い?」

霊とは違い、ちゃんと時間と場所を考案し、私へと伝え、其れでいて私の都合も聞いてくれるのだ。
休日といっても何処かへでかけるわけでもないので勿論寝る時間を省けば他は空いている。

「オッケー。一時に学校の正門前だね。」

学校の正門での待ち合わせも今回で二度目になる。
一度目は勿論神無月 霊によるもの。
皆が共通して分かる場所といえば真っ先に浮かぶ場所がこの学校の正門。
ただカタチだけに存在するわけではなさそうだ。と少し無理に納得してみる事にする。
そうして帰ろうとした時、隣に座っていた神無月 霊が会話に割りこんでくる。

「なあ、えーっと・・・倉田、だっけ?私も一緒にあそ・・・」

遊びたい。とでも言おうとしたのか、其の先の言葉は彼女、倉田 岬に消される結果となっていた。

「えー! 神無月さんもですかー!? 其れは嬉しいですね。是非一緒に遊びましょう!」

有無を言わさない攻撃。其れは彼女自身からは想像も出来ない暴走ぶりだった。
浮かれ気分なのか、立ち上がった倉田 岬は其れじゃまた明日。とだけ挨拶を交わし、
空でも飛べるのではないだろうか、というくらい軽い足取りで教室を後にした。私と霊はとっさの事で暫く唖然としていた。
私はともかく、霊までもが固まったままというのは初めての事だ。私が見る限りでは、の話しだが。





こうして私は倉田 岬の考案により、私と倉田 岬、そして神無月 霊と遊ぶ事になった。
何時もより少し遅い起床。時刻は十一時だ。
其処から学校へ行く時と同じように、洗面台へと行き、顔を洗うのだ。
何時もと違うのは此処からで、きていく服装だった。
普段は真っ黒い何の面白みもない詰入りの制服へと着替えるのだが、
今回はプライベートでの事なので、自分で好きな服を選んで着用するのだ。

そうして母親に遊びにいってくるから、といって早々に朝御飯とも昼御飯とも取れる
食事を済ませて待ち合わせ場所の正門へと出かけるのだった。





待ち合わせ場所についた時には、時刻は指定時間十分前。
我ながら時間にはきっちりしてる、と自分を褒めてみたりもするのだ。
女性と遊ぶ事に関しては殆ど経験がない私にとって此れはとても貴重な事なのだ。
この先もしかしたら、こういう機会が増えて行くかも知れない。
だが確実にそうとは言いきれない、今回が最後になってしまうという事も無きにあらず。

此処は学校の正門の前、学校ではまだ学生が勉強をしていたりもする時間だ。
今日は日曜日、だから本来なら学校は休みなのだが、物好きなのか、
休みの日を使ってまで学校へ登校し、図書室等の静かな空間で自主的な勉強をするモノもいる。
他にも補修といってこのままではマズいと判断された生徒が、先生に日時を指定され、
皆が学校へ来ない日、そう、日曜日や土曜日といった休日を使って学校へこさせ、
ワンツーマンでの授業を行われるケースもある。

其れゆえに、この時間でも正門から制服をきた生徒がちらほらと見られるのだ。
だがそんな事は私にとってはどうでもいい問題だ。
成績は悪い方ではない。提出物だってちゃんと欠かさず提出している。
内心の方が少々悪いかもしれない。あの事件以来、私は授業中、
倉田 岬と知り合った時のように、先生の言う事が頭に入らないなんて事がたびたび起こるのだ。
其れでも何とか抜き打ちテストと呼ばれる類では成績が良い方だ。
テストが終わり、答案用紙を返して貰う時、クラスでの平均点を出してくれるのだが、
其の時の私は、何時もクラスの平均点より十点〜二十点は高いのだ。
国語に関しては八十点以下を取った記憶が存在しない。
毎回八十点を基準とし、九十点から、良ければ百点だって取る事がある。

時刻は一時にさしかかる。
次第に増えて行く、学校の前に響き渡る人の足音。
そして車の騒音。

ふいに一つの足音が私に近づくのを察知する。

視線を其の足音のする方へと変えると、其処には、
紫がかり、其れを丁寧にそろえられた髪、
誰もがひと目で虜になってしまうような顔立ち。
まさしく其れは神無月 霊によるものだった。

「やあ。霊。時間ギリギリだね。」

自分より先に来た其の余裕ぶりの私の態度に不満があったのか、
霊はこんな事をのっけから言ってくれる。

「なんだ。おまえ、もう来てたのか、よっぽど暇なんだな。」

私としてはそんな事を言わせる為に早く来たわけではない。
待ち合わせ時間の数十分前に来る事は相手に対しても最低限の礼儀だと思っているのだ。
だから其れが例えどんな些細な事であったとしても、予定時刻より最低でも十分早くにきている。
霊のこの態度と攻撃的な口調は普段の事。そして霊が言ってるこの皮肉ですら、
私にとっては的中で、やる事なんてなかったのだ。
特別言い返す事もなければそんな事をする必要性も特に感じなかったので素直にうんとだけ頷く事にする。

と、丁度其処へばたばたと足音を立てて近寄ってくるモノが居た。
其の急ぎ方は丁度私が遅刻しそうになった時の其れに似ていた。

綺麗に仕上げられた其の髪は自分が走ることで左右へと忙しく動いている。
夏の陽射しを真っ向から受け入れるように露出された其の服装は、
其れと同時に夏の暑さから身を守るような感じで着こなされた淡い水色のワンピースだ。
はぁ、はぁ、と息を切らして近づいてくる其れは勿論、今回の企画を考案した倉田 岬だ。

「すいません、少し遅れてしまったようで。」

と、両手を膝につき、顔も見ないで言葉を発する倉田 岬。
肩が大きく上下に揺れる其れを見れば納得の行く事だった。

「いや、全然いいよ、私もついさっき来たところだしな。
待ってた、っていやこの律儀な莫迦くらいだろう。」

律儀な莫迦、と言って私を親指で指した霊。
まぁ何時もの事なので特別気にしないで相づちをうつ事にする。

この日の為、というわけでもないのだが、
倉田 岬には行きつけのお店があるという。
勿論喫茶店なのだが、其処はとてもお洒落で飲み物も安く、
とても美味しいらしい。店の雰囲気もよく、良く晴れた休日には持って来いだと豪語する。

時刻は一時を少し過ぎたくらい。

私達は倉田 岬を先頭にして、行きつけのお店へと足を運ぶのだった。





倉田 岬が歩く其の後ろには私が居る。
そして其の隣には、髪は黒く、何処にでも居るような顔立ちを見せる其れがいる。
服装は、この日に限ってはまともな服装をしているようだ。
白い無地のワイシャツに黒い制服のようなズボン。
其のワイシャツの上から羽織られた革製のジャンパー。

かくして今日は其処まで寒いというわけではない。
寧ろ良く晴れていて散歩をするのなら絶好、という日だろうか。
其れだというのに彼、弓塚 直樹は革製の暑苦しいジャンパーを羽織っていた。
まとも、、というのはあくまで彼の服装のセンスについて語っただけだ。
幾らなんでもワイシャツ一枚に革製のジャンパーなんて何処へいってもウケが悪いのは必須だ。

きっと彼なりの精一杯のお洒落なのだろう。
この調子だと服は対して持ってはいないだろう。
洋服ダンスだってあるのかどうか妖しい。

私は、というと普段の着なれた服に赤いロングコート、此れは私の一番のお気に入りだ。
何故お気に入りなのかというと、着心地がとてもよく、
何処でも見かけるような此れにしては、生地もしっかりしているのだ。
コートだというのに暑い日は、どういう仕組みで其れが成っているのか分からないが、
気持ち良いくらいに風を通し、夏でも涼しく着られるというところだ。


休日。


太陽の陽射しが目まぐるしくも視界へと入り込む。
其の光は今、昼という形として世の中を光で包みこんでいる。
こんな日は家に閉じこもるのは非常に勿体無いだろう。
何か目的があって行動するだけでなく、何かの気まぐれでもいい。
取り敢えず外へ出てこの清々しいまでの世界を経験するべきだろう。

とりわけ私は其れに興味があったから此処へ来てるというわけではないのだ。
ただ弓塚と親しくする倉田 岬がプライベートで弓塚と逢うというのだ。
此れは他でもない、面白いイベントだと私は思ったのだ。
何故なら、弓塚 直樹は学校へ来てからというもの、私以外の人間とはほぼ全くといって言い程、
接してきてはいない。其れゆえに興味が沸いたというだけなのだ。

ただ一途に、彼という男が他の異性にたいし、どういう態度を取るのか
其れだけに興味がわいていた。私と別の異性とプライベートで逢うことに、
別段嫉妬しているわけではない。無論彼を好ましく思っていると言えばそういうわけでもない。

そう、理由は簡単だ。


他にやる事がないのだ。


きて早々、彼によっぽど暇なんだな、と言ったものの、
私自身にもやる事なんて此れっぽっちもないのだ。
学校のテストに向けての勉強をするつもりもないし、
かといって予習や復習なんて生真面目にやるわけでもない。
学校へ出向く事に何の意味も感じない私にとって其れは当たり前といえよう。
じゃあ何故学校へ毎日出向いてるのか、


他にやる事がないのだ。


そう、私が何か行動を起こすにあたっての大半の理由が此れなのだ。
やる事がないから行ってるだけに過ぎない、其れは学校へ登校することも然りだ。

今日は少し有意義な時間が過ごせそうだ。
私にとって親しい人間なんて今までにいなかった。
過去に起きた事件をきっかけに私という人格は著しいまでに狂った。
其れゆえに、私に近づこうとする人間は一人としていなくなってしまった。
特別其れが哀しいわけでも淋しいわけでもないのだが、
考えても見れば、どういうわけか、其れが時折もどかしく感じてしまう。
生きてるという実感が持てなくなってしまう時がある。

其れはそう、今隣に歩いている何も考えてなさそうな、この男。
弓塚 直樹と接してきてから思うようになった。

私にとってはどうでもいい感情。
だから邪魔なのだ。自分にとってどうでもいいと思える感情は。
棄ててしまえるのなら棄ててしまいたい。
そうすれば私は何の意味も考えずに行動を繰り返し、
何事もなく、この狂った人格を背負い、味気のない人生を、
すんなりと受け入れ、終止符を打てると思っていた。

思っていたのに、其れを壊したのは必要以上に構ってくるこの弓塚 直樹のせいだ。
憎いと言えば憎い。私に必要ない感情を抱かせたコイツが憎い。だが果たしてそうだろうか。
無視しようと思えば無視出来たはずだ。そう、例えば最初に出会った屋上での事にしても、
冷たくあしらおうとすれば出来たはずなのだ。だが其の時私は、
私のように屋上へと出向く物好きには何をいっても無駄だと諦め、
話しをしてやったのだ。しかしそもそもが此れが間違いだったのかもしれない。
此処で冷たくあしらえば、幾ら物好きな彼でも今までの人間と同じように、
私を遠ざけていってくれたに違いないのだから。

開き直ってしまえば其れもどうでもいい事。
特別後悔してるわけでもない。なってしまったのだから其れを受け入れてしまおうという事だ。
起きてしまった事柄に幾ら悩んだところで打開出来るわけじゃない。
ならどうする事が一番効率が良く、負担をかけないのか。
答えは簡単だ。今起きてる事実を全て受け止めて其れに合わせて接して行くだけでいい。
幸い私には一般人のように感情が整っていない。
過去の事件をきっかけに欠落してしまった感情。
其れは事実を全て流れゆくままに受け止める事が容易い事を示すのだ。

気が付くと目の前には洒落た雰囲気のお店が仁王立ちしている。
高々を掲げられた看板には「Wonderful Holiday」とかかれている。


素晴らしき休日。


晴れた空、何事にも囚われず、流れゆく雲。
そんな風景に見守られながら私達は倉田 岬が案内する喫茶店へと足を運ぶのだった。