片隅に置かれた心

page 1 思い

家で何時ものようにぼうっと過ごしている俺がいる。
部屋は至って普通の構造だろう。殺風景で、
人が一人住むには何ら問題なく、そして無駄なものがない造りだ。
そんな中、俺は何時もズボンのポケットにしまってある煙草に火をつける。
無造作にふらふらと舞い上がる煙をただただ眺めるだけ。
他の人から見ればこの光景は遠くを見て呆けてるだけにしか見えないだろう。
だが其れは正しい。今の俺にはやりたい事が何ひとつとして存在しないのだ。
学生である今は毎日学校へと出向き、課せられた事柄を一つ一つこなし、
何時ものように帰宅しては家族と共に食事をしたり、テレビを見て話をしたり。
なんて事のない、一般的な生活を送っている。
別にその生活自体に不満があるわけでもない。
何事もなく、平和で暖かく、何より家族、友達に囲まれている俺は
其れだけで幸せなのだろう、と思う。
しかし、そんな一方では此れだけの事がありながらも、
誰の影響を受けるわけでもなければ、
自分からいきりたって「此れをやろう!」というチャレンジ心は全く存在しなかった。
ただただ動くだけの人として世の中を堪能するモノとなっていた。


カチカチカチカチ・・・。


時計の針は無造作にも、無音とかした部屋に不協和音を届けてくれる。
そんな鬱陶しい音でさえも、今は特別気にもならないでいた。
ふと時計に視線を向けると、時刻は0時を回っていた。
明日もまた朝起きて、学校へと行かなければならないので、
煙草の火を丁寧に消し、眠りにつくことにした。


真っ白い朝陽が部屋中を包みこむ。
此れも何時も通り、平凡な事、当たり前の事。
何気なしに体を半身だけ起こしてみることにする。
部屋を見渡すと、其処には昨日寝る前と同じ光景が広がっている。
当然と言えば当然だろう。そんな当たり前の風景にも見飽きていた。


「直樹 早く朝御飯済ませて学校へ行く用意しなさいよ。」


朝の陽射しに混ざって聞こえてくる其の声の主は母親の声である。
母は毎日俺よりも早くに起きて家事をこなしている。いわば主婦なのだ。
直樹、と呼ばれた人物、其れが俺の名前である。


神谷 直樹(かみや なおき)
今年で16歳になったばかりである。
目標を持つには早すぎる歳なのだろうか。
いや、16歳ともなればそろそろ自分の将来へと、
興味を示さなければならない年頃であっても良いかもしれない。


「分かってるよ 言われなくても」


母の部屋と俺の部屋では部屋の壁を挟んだ所にある。
母親に聞かせるわけでもなく、
ぼそりと呟きながら体を起こして洗面所へと行く事にした。


食卓に行くと母と父が既に食事をすませていた。
俺は何時ものように母が作ってくれる朝ご飯を食べることにした。
今日の朝ご飯は白飯と味噌汁だった。
寝起きで頭がふらふらとする中、頭を起こす意味でも無理遣りに朝ご飯を
胃の中に詰め込んでそそくさと学校へと出かけることにする。


「じゃあ、行って来ます。」


母に背を向けながら返事を待たずに学校へと出かけた。


何時ものように生徒が登校してくる朝。
何事もない。
平和な日々。
別に退屈でもない。
此れが普通だ。


しかし・・・。


自分は一体何時までこんな同じ日々を繰り返すのだろうか。
死ぬまで・・・。そうなのだろうか。
そうかもしれない。其れほどまでに自分は何もしていないし、
したいとも思わないのだ。
くだらない事を考えていると目の前には学校がそびえたっていた。
家から学校までは然程遠いわけではなく、
10分程度歩けば簡単についてしまう。
教室についてふと溜め息をつく。

「俺は何がしたくてこうやって毎日を生きているんだろう・・・。」

そんな考えても答えに辿りつけないことをふと考えてみたりもする。
人は何か目的を持って産まれるものだと言われている。
其れは理由無しには存在できないという世の理が存在するからだ。
この世に意味のないものは決して存在してはいない。
だから、俺が俺としてこうして生きているという事にも、
何らかの意味が存在しているのだ。でも其れは自分自身ではとても分からない。
そして其れは、自分が死んでしまっても決して辿りつけない答え、なのである。
人はうまれ、何時かは無に還る。其れは避けられない事だ。
例えば自殺をしたとか、例えば他殺されるだとか、不意の事故に巻き込まれるとか。
「死」其のものにばらつきはあるものの、其の総ては自然な事として扱われる。
事実今の自分にとって、何時誰が産まれ、何時誰が死んだ。
そんな事はどうでも良い問題なのだ。産まれた、死んだ等と言われても、
自分自身には何をどうこうする事も出来ないのだから、極自然な事なのだから。
ならば自分は其の「死」が訪れるのをただ待つ為だけに生きているという事になる。
其れは今現在自分にとって何も目的がないからだ。
別に何時死んだって構わない。常日頃からそう考えている。
だが、人間はそう思い込んでしまうと終わりなのである。
人は生きる為に存在している。毎日を生き延びようと躍起になっている。
だが其の事柄を全面的に否定してしまう事になってしまうからだ。
「人の在り方」そのものを否定する事になる、そう思うから。


無機質なチャイムが鳴り響き、今日もまた学校での生活が終わる。
窓を覗けば外は日が暮れていた。
とても、綺麗な紅色の空。真っ赤に染め上げられた太陽。
遠くから見るこの景色はとても神秘的なものだろう。
しかし、実際には近くに寄っただけであらゆるモノを一瞬にして消してしまう悪魔。


家に帰宅をし、また、いつも通りの風景が其処にあった。
くだらない話をしながら御飯を食べたり、後は適当に風呂へ入ったり、本を読んだり、
そうして神谷 直樹の1日は終わるのだ。
しかし、今日に限っては少し不具合が生じた。


午前2時。


カチカチカチカチ・・・。


無造作に鳴り響く時計の針の音。
其のリズムに調和するように鳴り響いたコール音。


プルルルル・・・。


電話の音が何度が鳴り響いていた。
其の音は次第に途切れ、母の声がする。
何を話しているのかは自分の部屋からは聴き取れない。
母の返事をするだけの声を若干聞き取れるくらいだろうか。
暫くすると母の声は聞こえなくなり、其の拍子に。


「直樹!直樹!」


感情を向き出したかのような母の声が辺りを震わせている。
何かあったのだろうか、母がこんなに大声を張り上げるのは
とても珍しい事なのだ。
母が呼んでいるので俺は母の元へと行く事にした。



「どうしたの?母さん。」



単刀直入に俺は母へたずねる。


「あんたの友達が交通事故にあって、意識不明なんですって。
近くのT病院だから、今から行っておいで。」


今にも泣きそうな顔をしながら母は俺にそう言った。
友達が突然の交通事故にあった。
意識不明の重態・・・。
時刻は2時を過ぎている。
第一こんな時間からどうして事故にあうのか。
こんな時間に外に出る用事等普通はありはしないというのに。
自業自得で済ませてしまえば其れはそうだろう。



友達。



自分にとってそう思える友達という類は一体何人存在しただろうか。
確かに俺は家族や友達に囲まれて幸せだと思っている。
でも其れは上辺だけの友達として扱ってるだけに過ぎない。
だから母が今にも泣きだしそうな顔で訴えてきたところで、
事実俺にとってはどうでもいい事という事でもあるわけだ。


だが、この時、俺は今行かなければダメだと思っている。
其れがどうしてそういう感情を持たせたのかは分からない。
多分、母のそんな顔を見たせいなんだと思う。


明日も学校があるのだが、いざという時には仮病でも使って休めばいいだろう。
そう考えて、俺は支度をすませて病院へと行く事にした。


どれくらい歩いただろうか、薄暗い空は心を冷たくあしらってくれる。
芯と軋む空は心が痛むのだ。何もないこの虚無の世界。
朝は一遍してとても自由な気がするのに。
T病院についた。夜の病院とは意味もなく奇妙なものである。
そういう認識があるのは、病院とは患者を扱い、
人が亡くなったりしているという認識からなのだろう。
例えば病院という所が子供の遊び場だったとすれば、
そんな愚かな印象は受けないのだろう。


病院には直接入る事は出来なかったので、
裏口へと回り、警備の人に話をつけて中へ入れて貰うことにした。
病院の中はうっすらと蛍光灯が灯りを照らすだけの廃墟のようなイメージ。
そんな中、白衣を来た女性らしき影を見つけることができたので、
俺は其の「看護婦」と呼ばれる人に先ほどの母との話をする。
看護婦から聞いた話では、今手術中という事、
そして、とても危険な状態にあるという事の二つ。
俺は取り敢えず御礼をいって手術室へと向かうことにした。


手術室の前には「手術中」と書かれたランプが点灯している。
中には学校の友達が手術を受けているのだろう。
中の様子を見ることは出来ない。いや、さすがに見ようとまでは思わない。
あれからどれくらいの時間待ち続けたのだろうか。
ふと見上げると点灯していたランプが消える。
手術室から出てきたのは紛れもなく友達の姿だった。
白いベッドに横たわり、体中に幾つもの器具をつけられている。
其の総てが一体どういう役割を果たしているのか、なんてことは分からないし、
この際どうでも良い事なのだ。 俺はただただ病室へと運ばれていく友達を
追いかける事もしなければ、
特別な感情を抱く事すらしなかった。


ただ、ああ、運ばれているんだ。という認識だけしか。


ふと腕時計を見ると、針は5時をさしている。
時計は律儀なものだ。誰が何をしていても、
世界でどんな事がおきていようとも、
自分のリズムを崩す事なく正確に回り続けている。
止まることのない、螺旋のように。


先ほどの看護婦を捜し、俺は病院に泊めて貰うように頼んだ。
こんな時間から外を歩いて同じ目にもあいたくはないし、
何よりも、病院から離れるわけにはいかないと思っていたからだ。
看護婦は少し戸惑ったが、暫くしてからオーケーサインを出してくれた。
早速俺は家に電話をかけて、病院に泊まるという事を伝えた。


「俺、今日病院に泊まるから、明日は学校休むよ。」


ガチャリと音を立てて固定位置へと収納される受話器。
人の力を借りて其の役割を果たすことの出来る公衆電話。
人もまた、人の力を借りて其の役割を果たすことが出来る。
結局自分一人だけでは何もできはしないのだ。