片隅に置かれた心

page 2 心

母に電話をかけ、病院に泊まる事となっていた。
とはいっても特別に寝床が用意されているわけではない。
まだ薄暗い病院の中を暫く探索してみることにした。
暫く歩いていると、一際目立つ光を放つモノが立っている。
近くによってみると其れは自動販売機だった。
120、と聞きなれた数字が沢山並び、無数の飲料が並べられている。
そういえば家で食事をした時にお茶を飲んだくらいで、
其の後は水分等とっていなかったことに気づく。
自動販売機におもむろに硬貨を入れて、珈琲を1本買うことにした。


近くにあったソファーに腰掛けて、其れを飲むことにした。
ただただ無感情に其れを飲み続ける。
音のない空間でただ、喉を潤す事に精神を注ぐ、
自分自身だけが存在するこの空間。
何も考えなかった。友達がどうなっているのだろうとか。
本当に此処に何をしにきたのだろう、とか。
そんな事は今、考える気にもなれなかった。
ただ、そんな考えをしなくてすむ為に水分補給という手をつかい、
誤魔化してるだけにすぎないのかもしれない。



「此処にいたのね。」



不意に背後から声をかけられる。
其の声の主はとても最近に、聞いたと思う声だった。
振り向くと其処には先程の看護婦が立っていた。
先ほどと何ら変わらない制服を身にまとっていたからこそ、
「看護婦」なのだと認識が出来たのだ。
仮にも此れが私服だったりしたのなら、俺は誰だか分からなかったことだろう。
返事を返すこともなく、俺は珈琲をまた口へと運ぶ。



「君はあの子の友達だよね。」



一瞬思考が停止したが、暫くして、


「そうだよ。」


と一言だけ返す。一瞬思考が停止したのは、
不意に言われた事もあるが、本当にそう思っているのかを疑問に思った為である。
看護婦はそんな事はおかまいなしに話を続けて行く。


「そっか、大変だったわね、お友達・・・。」


言葉を曇らせて言う看護婦の姿を見る事は出来ず、
看護婦に背を向けたまま、また珈琲を一口運ぶだけ。
考えて見れば大変なのだろう。
俺からすれば他人事なのだ、知り合いが事故にあったというだけで。
だが、本人からしてみれば予想にもしていなかったことだ。
ふとそんな事を考えて、どうして自分が此処にいるのかに気づいた。


代わりに俺が事故にあっていれば良かったんだ。


そんな事に気づいた、というよりかは考えたのだ。
そうなのだ。考えてもみれば、毎日何をするでもなく、
ただぶらぶらと生きてるだけの俺がこうして生きているというのに、
まだ俺よりも将来に望みがあり、生きる目的を見つけているであろう
其の友達のほうがずっと俺よりも生きている価値があるのだ。
だから本当は其の友達ではなく、俺が事故にあっていれば良かったのだ。


「友達の代わりに・・・。」


其れを言おうとしたが俺は言うのを止めた。
言ってはならない事だと思う。自分で思う事は自由だとしても。
だから俺は言いかけて止めたのだ。言わない方がいいから。
いや、言うべき事ではないことだから。


「どうしたの?」


看護婦は返す。だが俺は答えなかった。
先ほどのように珈琲を口に運ぶだけの動作をとって黙りこんでしまった。
どういえばいいのか分からない。
ましてやどうしてそんな事を口走ろうとしたのか、
其れも見ず知らずの看護婦にいきなり、だ。
言ってどうなるわけでもなければ、友達が救われるわけでもない。
意味の無い言葉は其れだけで無価値となってしまう。


「君はさ、何だか自分の素直な気持ちが何かによって、
蓋をされちゃってるような感じがするなぁ。」


独り言のように呟いた其れは明らかに俺へと向けられた言葉だった。
どんな表情をして其れを述べているのかは俺からは分からない。
逆に看護婦も、そんな自分の言葉をどういう態度で
聞いてくれているのかは分からない。
近くにいて、とてもとても、大きな壁を間に挟んだ二人。
看護婦は続けた。


「何かね、本当は何か言いたい事があったり、
考えたい事があるんだけど、其れを何かが塞いでるのよ。私もそうだった。」


結局俺には何が言いたいのかが理解出来なかった。
先ほど言いかけた事を言えと言ってるようにしか取れない言葉でもあった。
俺は素直じゃないのだろうか。いや、素直だと思う。
本当に欲はないし、世の中に求めるモノは何一つとしてはないのだから。
だから俺は一言だけ、一番疑問に思う事だけを返すことにした。


「どうしてそういう事を俺に話すのさ。」


そう、看護婦といえども今日あったばかりの本当に赤の他人なのだ。
友達が事故にあったから、だからそんな俺に同情でもしているのだろうか。
でも其れとは少し違うだろう。いや、全く違うといえるだろうか。


クスっとした笑い声が聞こえた気がした。
そうして看護婦は言う。


「何か、似てるなぁ、って思ってね。」


ただ其れだけの理由なのだろうか・・・?
看護婦と俺が似ている。たった其れだけの理由で其処まで話すのだろうか。


考えてみれば俺はどうして此処にいるのか。
其のまま真っ直ぐ家に帰る事も出来たし、タクシーでも捕まえて
安全を確保した上で帰る事も出来た。なのにどうして?
そんな俺の心を見透かしたかのように、


「君は自分では気がついてないのかも知れないね。」


そう言って暫くの間沈黙が続いた。
珈琲も飲み終わり、今は飲料ではなく、ただの空き缶。
そんな空き缶を両手で掴み、見つめながら深く考えてしまう。
気が付いていないとはどういうことなのか。
其れが何なのかは分からない。此れは俺自身の問題でもある。
だから、其れが何かというのは俺に分からなければ、
看護婦にだって分かりえないことだろう。
其れはまた、答えの出ない螺旋のようにしてぐるぐると頭をかけ巡る。
もうそんな考えには疲れてしまう。第一答えがでないのだから、
幾ら考えた所で出口には辿り着けないのだから。


「瑞希君、ちょっと・・・。」


ふと、男性の声がした。声は少し低く、それでいて声だけで、
イメージを想像できてしまうくらいの魅力を持っていた。
俺は振りむく事はせず、ただただ空き缶を眺めているだけ。
暫くすると看護婦は其の男性と共に何処かへといってしまった。
飲み終わった空き缶をゴミ箱に捨て、また病院をふらつくことにした。


普段から考え事をしない自分にとって今日はとても疲れたと思う。
病院唯一の喫煙コーナーへとさしかかり、俺は足をとめる。
未成年でありながらも煙草は常に携帯させてある。
ライターは100円均一で購入した100円ライターだ。
其れでも火をつけるには十分なのだ。
今の俺は、こんな100円のライターにすら負けているのかもしれない・・・。


煙草に火をつけてぼんやりと天井を見上げる。
天井はとても大きい。手を伸ばしてもとてもふれられそうにない。
此処にはあの煩い時計の針の音も聞こえない。
完全に無音と化した空間なのだ。


煙草の葉がじわじわと燃えて行く。
其れはまるで余命を宣告された患者の命を示すかのようにして。



暫くすると疲れていたのか、急激な眠気に襲われたので、
喫煙コーナーで其のまま横になり、寝ることにした。