片隅に置かれた心

Last page 少女

友達が亡くなった日、俺は家に帰り、母に其のことを告げる。
母は其の場で泣き崩れてしまった。
あの時みた、看護婦のように。
不思議と俺の目から、涙が零れる事はなかった。
其れがどうしてなのかは分からない。
目の前で人が死ぬ光景を初めて見たショックのせいで、
まだ頭の中が錯乱しているのだろうか・・・。


其の後、俺のクラスは友達が死んだという事で、
臨時で休みとなっていた。
皆で友達の葬式に行く、という条件の元で。
御通夜と葬式には沢山の人が来ていた。
黒い服をみにまとう人の群れが其処には在った。
同じくして俺も母も黒い服をみにまとう。
ふと見回した先には瑞希の姿があったように思えた。


友達が亡くなってから一ヶ月が経ったある日の事。
病院で思い出したあの森へと俺は知らずのうちに足を運んでいた。
病院で過ごした数日の間に自分の存在、自分の気持ちが、
少し歪んでしまっていたのを確信していた。
其れを確かめるという意味ではない。
ただ此処に来れば何か見つけることが出来るんじゃないだろうか。
そう、きっかけとは本当に些細な事なのだ。


森についた。
俺は夢で見たあの場所へと足を運ぶ。
其処にはあの時の少女が居た。
白いワンピースに麦わら帽子を被った一人の少女。
だが、良く見ると其れは錯覚だった。
其処には風にただただ身を任せ、ゆらゆらと揺れる女性がいた。


「瑞希さん?」


俺は後姿だけで瑞希だと確信していた。
根拠なんて何処にもなかった。ただ直感でそうだと思っていた。
名前を呼ばれ、驚いた様子でこちらに振り返る一人の女性。
其れは紛れもなく、病院でみた看護婦、瑞希の姿だった。

「こんな森に・・・何か用なの?」

瑞希は言う。だが其の質問は俺もしたいくらいだった。
こんな森に用事がある、なんていうのはどうだろう。
本当に此処にきたのはただの気まぐれなのだ。
何もないこの森に、用事があるといえば、
其れは森が好きな自然好きな人位なものだろう。
だから俺は瑞希に病院で見た夢の事を話す。
ただ瑞希は何も言わず、其の話を聞いてくれる。
説明を終え、俺は言った。

「此処、座ってもいいかな。」

俺は言った、夢で見た時と同じようにして。
瑞希はコクンと頷くだけだった。
あの頃の少女と同じ素振りをして。
だが、あくまで其れは夢なのだ。
本当に自分がそんな事をしていたのかは分からない。

森はただ揺れる。大きく、そして優しく・・・。

俺は何も話さなかった。
同じくして瑞希も何も話さなかった。
でも其れは其れで良かったのだと思う。
何かを話そうとすれば、其の時こそ、何かを失う気がしたのだ。


気が付けば俺は一人になっていた。
空を見上げれば綺麗な紅色をした太陽が照らしつけている。
何故俺は少女と会話をしなかったのか。
何故俺は瑞希と会話をしなかったのか。
二人は別人なのだ。そして少女は夢の中の存在だ。
ましてや瑞希になら、色々と話すことは出来たはずだ。
何かを失う事なんて、これっぽっちもなかったはずなのに。
どうして話すことをやめたのか。今になっても分からない。
考えてみればどうして俺はあの友達が交通事故にあったときいて、
病院にかけ込み、必死になっていたのだろうか。
同じクラスメイトだから?いや、そんな理由ではないと思う。


どうしてだろう。
どうして、そんな大事な部分だけ、
思い出せないんだろう。
過去の記憶はどうでもいいなんて思ってきたけど、
今、初めて、思い出したいとおもっているのに。
どうして、そんな大事な部分だけ、
思い出せないんだろう・・・。


俺にはもうこの森に頼る事しか出来ない。
頭が痛い。
此れ以上此処にはいられない。
そう思って俺は家に帰ることにした。
夕焼けに包まれた森は、また別の世界のようにそびえたっていた。



翌日もまた俺は森の中へと足を運ぶ事にした。
其処には瑞希の姿はなかった。やはりただの偶然だろうか。
例えば瑞希のお気に入りの場所だった、などと考える事も出来る。
この森は確かに何もなくて寂しい所だ。
だが、この街で唯一、街を見渡せる場所なのだ。
物好きがこうして此処へ来る事もしばしばあるというし。

やはり何も変わらない、ただ風が吹いて、俺の頬を染めて行くだけ。
だが、たったそれだけの風景の中に、
俺の中の何かを繋げる為の鍵があるはずなのだ。
どうしてもこの森を離れる事は出来なかった。
何かがあると信じている自分がいた。そんなのはただの直感だ。


「もしかして、お前はあの時の・・・。」


そんな声が背後から聞こえた。
俺は半身だけをくるりと声のする方向へとむける。
身長は俺よりも少し高い位だろうか。
綺麗に染められている茶色い髪がこの森とバランスが取れている。
男は俺に言った。あの時の、と。
あの時とは何時の事だろうか。
だが、其れよりも気になる事が一つある。

「誰だ?」

そうだ、俺はこの男の名前を知らない。
今まで見たこともないのだ。見知らぬ男に指をさされ、
お前はあの時の、等と言われても正直分からないし、
ただ腹が立つだけなのだから。


男は忘れていても当然だろうと言わんばかりの口調で言う。


「あぁ、昔さ、この森で一緒に遊んだ男の子が居たんだけど、
ほら、丁度お前が座ってる木、其処がソイツとの待ち合わせの場所でね。」


表情が和らいだ男はそう言った。
だが其れが何の事だかは分からないが、
俺の後姿が、男の言う「友達」にそっくりだったという事らしい。
だがそんな事は俺には何の関係もない話だろう。
そんな事よりも、俺はあの夢の記憶を取り戻したいだけなのだ。
あれは夢だったのか、現実に起きた事なのか。
今は其れだけを知りたいだけなのだ。
そんな思考は男が消してくれることになる。


「そういえば、其処の木の陰で其の時の友達と少女が一緒にいたことがあったな。
デートしてるんだと思って其の日、俺は声をかけずに帰ったんだけどな。
確か、白いワンピースを着て、麦わら帽子を被っていたかな。
あまりにも其の友達とは不釣合いだったんではっきりと憶えてる。」


何やら俺を見て嬉しくなったのか、微笑みながらそんな
思い出話にたそがれていた。
しかし、考えてみればおかしなことだ。
こんな森でそんな少女と座っていた小さな子供なんて他にいやしないだろう。
其処で俺は確信した、あの時に見た夢は現実のモノなのだという事を。


「詳しく・・・聞かせてくれないか?」


俺はそういって男に詳しい話をきくことにした。
男は言っていた。
昔この森で、男三人で遊んでいたという。
男が言うには、其の遊んでいた連中の一人が俺に似ていると、
そして一人は其の男自身と、もう一人別の男の子がいたという事。


「名前は思い出せないのか?」


名前を聞けばはっきりする。
俺は男が話をしている最中、間髪いれずに聞いてみた。
男は言う。


「確か、神谷とか何とかだったような。」


神谷。
俺の名前は神谷 直樹。
そして男はその神谷が少女と座っていた、という事を言う。
其れだけでは証拠にならない、いや、確信が持てない。
だから俺は言う。


「其の男の名前、神谷 直樹、って名前じゃないか?」


男はポンッと手を叩いてそうだそうだ!と思い出したように言う。
此れで繋がった。
俺はこの森で過去にこの男を含め、三人でこの森で遊んでいた。
そしてとある日、俺は夢で見た風景に出くわしたのだ。
其の時もまた、友達との待ち合わせで此処にきていたのだ。
其れを見たこの男は俺と逢わずに家に帰った。
あそこでこの男と逢っていれば、あの夢の中にも、
この男が出てきたのかもしれない。

俺の中にふと、死んだ友達の名前が浮かぶ。
友達の名前は岬 達也(みさき たつや)と言う。
何の脈絡もないが、俺は試しにきいてみることにする。


「もう一人の男の名前、岬 達也じゃないか?」


俺は何の根拠もない事を男に言う。
男は俺の肩をガシッと掴みながら言った。

「そうだよ!そうだそうだ!じゃあお前が神谷なのか!?」

嬉しそうに男は言う。

「そうだ。俺の名前は神谷 直樹だ。」

俺は名前を明かす。
すると男は岬を呼んでまたこの森で遊ぼうといい出したのだ。
男は知らない。岬が死んだという事実を。
ならば俺も知らないふりをするのがこの男の為なのだろうか。
いや、其れはきっと違うと思う。

「岬は、死んだよ。」

俺は言う、死んだと、たった一言を男に伝える。
男は黙りこんだ。それこそ永遠とも言えるような長い静寂が訪れた。
静寂を破ったのは男だった。

「そっか、死んだのか。そういえばさ、三人で埋めたタイムカプセル、
あったよね・・・。昔にさ、十年後の自分に、って・・・。
捜そう、岬の為にも。」

俺は何も言わずただ頷いて男に協力する。
此れが総て真実だというのならば。


数時間後、待ち合わせ場所に使っていた木の下からタイムカプセルは見つかった。
土にまみれて変色していた小さな箱の土を丁寧に払いのけて、
俺と男はゆっくりと箱を開けることにした。
其処には三枚の紙切れが入っていた。
三枚には其々名前が記されてあり、一つは男のもの、
もう一つは岬のもの、そして、、、俺のものがあった。
俺は自分の名前の記された紙切れを広げて読んで見る事にした。


「かみやなおき 6さい

10ねんごのおれへ

今、あそんでいる3にんのひとたちが
どうなってるかはわからないけど
大きくなっても今のじぶんでありつづけたい
このかみを見たときには
今のじぶんを見つめなおせたらいいなとおもう
10ねんごのおれ、
なにごとにもまけないおれになってくれ」


其処にはそう記されていた。
6歳という年齢でありながら、既に目標を持ち続けていた俺自身。
一体何がそんな俺をこんな俺にしてしまったというのか。
「なにごとにもまけないおれになってくれ」
くしゃくしゃな文字で書かれた最後の文。
俺は思い出した。此れを見て今の今まで忘れていた過去の事を。
俺はこの森を自分の穴場として活用していたのだ。
探検するには広くてとても楽しかったのを思い出す。
其処で知り合ったのが、この男と岬というわけである。
二人とは直ぐに意気投合し、其れから毎日、この森へきては、
三人で探検して遊んでいたというわけだ。

思い出に浸っていると男はとんでもない事を言い出した。


「そういえば、お前と一緒にいた少女って、
あれ、お前の家の近所の瑞希さんだろう?」


俺はそういわれて胸の奥がドクンというのを聞いた。
あの、看護婦だったのか。
だから、病院について、あんな夢を見たのだろう。
記憶は消えてなくなってしまう事はない。
人は自分の都合の好い記憶だけをのこし、
都合の悪い記憶は忘れたと思いこませるのだ。
だが俺の場合はこの両者ではない。
ただ「無意味」だったのだ。過去の記憶という存在自体が。

今なら分かる、看護婦が最初にいった言葉の意味が。
だとすれば俺はなんて愚かな人生を歩んできていたのだろうか。
こんなに小さい俺が、こんなに頑張っていたというのに、
そんな小さい俺の期待を真っ向から裏切ってしまうような生き方をして。


ごめんな、俺。

そう心の中で何度も何度も叫びながら、俺は泣きくずれてしまっていた。


もう迷わない。もう立ち止まらない。
停止しただけの人生を歩んで来た事に今終止符を打つ事が出来た。
有難う、幼い頃の俺。

「お前のおかげで俺はまたあの頃のような人生を歩む事が出来そうだ。」

そう、男には聞こえないように呟いて、俺は其の森を後にした。


今一度自分の人生を見つめなおし、俺はまた先へ歩くことが出来る。
死んだ友達の為にも、何よりも自分の為にも。



そして・・・。


再び俺はあの病院へと訪れる事にした。
其処には白衣をみにまとう瑞希が居た。
キョトンとした看護婦をよそに、俺は一言だけ言った。




「瑞希さん、またあの頃のように、森へ行きませんか?」



─── Fin ───